heartbreaking.

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のほほんとした幸せ話より、圧倒的に不幸な人の話のほうが、疲れた人を救えることにそろそろ気付いてほしい

仕事で疲れて帰った時、メシを食い、風呂に入り、その後は……何をしますか。

私は、ソファに寝たままスマホでひたすらネガティヴ検索をしています。「部屋が狭い」とか「貧乳」とか(自分も貧乳だけど)思いつく限り色々打ち込んでいます。

人を救うのは、誰かの幸せ話ではありません。

不幸話です。

特に身体に関する悩みは、努力ではどうにもならないことも多いだけに読み応えがあり、時間があっと言う間に過ぎてゆく。

この間、こんな漫画を見かけました。

太陽にちちゃお5 - ticktockZOO DIARY  since 1945.8.15

内容は、男性器が小さいために、銭湯に浸かりにいくことすら異常に周囲を警戒してしまうという、不幸な話です。まあ事実かどうかは知らないですよ……

こういう漫画は人を救うのではないか。少なくとも、これを見て共感する人はいても、絶望したり苦しんだりする人はいないと思うんだが……

世の中で必要なのは、たとえば昨今ネットに溢れている、子育て主婦の描く四コマ漫画ではないだろう。

多くの主婦はこうだろう。旦那の給料で購入した普通車を乗り回す。

旦那が子育てに協力しないと愚痴を垂れる。

仕事と、家事の疲労感をまるで同等にみなしている。アホかお前らは……家事と仕事が比較になるわけもなかろうが。

結局のところ、ほとんどの愚痴は、手に入れた幸せの中にしか芽生えてこない、贅沢な悩みに過ぎないと気付かなければ、生まれながらに苦労してきた人達の人生に対して失礼だ。

幸せ話では、まず人を救うことはできないと私は思うのだが……

たとえば死にたいと悩んでいる人に必要なのはどちらの記事だと思うか。

A.子供2人目は可愛いですか?

B.惨めな中年だから死にたい

人生に悩んでいる人の心を救えるのは、本当に悩んでいる人の、悲痛な心の、すすり泣く声だ。

毎日ブログ更新し、リア充な話や、リア充な中で生まれる悩みを、出来るだけ大勢に知って欲しい、認めて欲しいと思うのは、無理です。おしゃべりなそのけがらわしい口を一刻も早く閉じろ……

幸せな人は、現実世界の中でとどまっておくほうが、優しい。

幸せ話をネットに流す人が多くなるほど、不幸な人が現実とネット両方の板挟みになって二重に苦しむことになる。

貴方は悪魔になりたいですか。

ネットには、勘違いした馬鹿が多いです。

真に耳を傾けるべきは、リア充な人の結果論や、努力した話、成功するまでの軌跡ではなく、成功していない人の話です。

なにを得ていても、人として価値が低い人はいると思うんだがなあ……

運さえも、さもすべて自分の努力であるかのように勘違いさせる言動をする人物は要注意だと思っている。

高尚な考えを持つ人間ほど、もともと不幸で、手に入らないものが多ければ多いほど、その人は、神へと近付く。

馬鹿は、人の気持ちがわからないから、我儘に欲しいものを次々と手に入れ、勘違いしながら、人を傷付け続ける。

人の心のわからない人間ばかりが、ほかの生命を傷付けることになる子孫を残し、高尚な考えを持つ不幸な人間達が独り身のままこの世界から消えゆくのを、後押しするように「子供たちの未来のために」という便利な言葉を繰り返し、自分達が性欲の赴くまま中出し行為をしていただけの、最悪な存在であることを美化しようとする。

自分達のセックスを目に見えるカタチにしてしまう、とても卑猥なことなのです。子供を作るということは。

煙草の本数は減ったので引き続き禁煙(0本)に向けて努力する

嘘は吐けないので正直に報告します……

お察しの通り、煙草をいきなりやめるというのは無理でした。しかし、本数は減っています。

以前は平日なら1日に1箱半以上、休日には2箱以上吸っていた私です。

それが今は、平日に4~5本(……仕事中の軽度のストレスで、休憩時間に喉から手がでるほど欲してしまう)。休日は1人の時間はまったくといっていいほど吸わなくなりました。

そこで、反省しました。

これまで惰性で火をつけていたことの意味のなさを。

そして吸わない時間が長く経過するほど、1本吸う時の重みを感じるようになりました。

吸い始めてすぐに、両腕が重く感じはじめ、これまで正常だった上半身に有害物質が漂い始め、充満して不健康体に近付くのを感じとれる。

1本の重みを受け止めつつ吸う、数分間に色々考えます。

本当に必要なんだろうかと。

何時間も吸わなかった時間を無駄にしてしまったという、暗い感情がある。

その後また次の1本に手が伸びることはなくなりました。

それからしばらくの時間、自分の体と相談しつつ、本当にその1本がいまこの場面で必要なのかと思う時……ほとんどの、衝動的に起こる欲求が、わりと意識的に制御できるレベルのもので、この欲求をいままで抑えられなかったんだな、と。

そういう時は煙草を吸いたいということ以外に、出来ることを考えてみる。

家にいるなら掃除をする。部屋が綺麗になってゆくのを見ると、まさか、アホみたいに煙草を吸いまくって灰をあちこち飛び散らそうとは思わなくなる。

外にいる時がやばい。周りに吸っている人がいると、てめえ全然似合ってねえんだよと思うような奴が吸ってるのを見ると特に自分も負けじと吸おうとする。お前に負けじと俺も吸う!吸ってやる!ではなく、そこで本当にいるのかいらないのかよく考えてから、吸わないのが最高にクールなのに違いない……

はてさて、これで、この1本に火をつけることでなにが解決するのか、これは私になにをもたらしてくれるのか。

根本的になにも変わらない。

外の風景は本当はつらいことだらけ。

自分が体内に有害物質を取り込むことで、汚染された自分なら、穢れているこの世の人々に対して盲目でいられる。その数分間と、プラスしてしばらくその余韻が漂ってる間は。

だけど、世の人々は何も変わらない。私のレンズにはどう見ても愚かにしか見えない者どもが正義なら、心を凍らせよう。煙草がなくても心の目を閉じていればいい。結局愚か者どもはどうしたって、変わらないのなら、無理して煙草を吸わなくてもいいじゃないか。

この地上を穢れたものが充満し、そして純粋なものたちが淘汰されてゆくなら、いっそ自分だって汚してしまえばいい。そうするしか解決する手立てがないと思っていたが、純粋で綺麗な自分をもっと信じて、綺麗なままでいたっていいじゃないか。

吸いたい時が訪れたなら、とりあえず、家にいる間は歯を磨きにいくと、歯が汚れるのが嫌だから吸わなくなる。

さっきも言ったが、部屋をあちこち綺麗に掃除してみたりもする。特にパソコンデスク周辺を拭いていると、煙草を吸わないことのメリットがよく感じ取れるようになった。灰が飛び散っていないデスクの上はとても綺麗で気持ちがいい。

いままでは錯覚していたことの一つとして、煙草を吸うことで、気分の切り替えが出来るので、やめれば切り替えが出来なくなるということだった。しかし、煙草を吸わない時間のほうが明らかに体調がよく、体も軽く感じられる。切り替えをしやすい下地が出来ているのでもう煙草は必要ないのかもな、と思えた。

そして煙草を吸うことで自分はなんだか仕事がしっかりできている錯覚も感じていたが、むしろ吸うことで体は疲れやすくなり、その疲労と労働の疲労が合体していた。いよいよ最大の疲労感で出勤時刻前に何度も寝直すこととなり、会社に遅刻してしまうことも……

特に休日明けの出勤が最悪だった。あきらかに煙草を吸い過ぎによる、鉛のように全身の重たい、抜け出せない疲労感だった。今は本数が大分減ってきて、そうしたものが徐々に抜けつつあるのをなんとなく感じている段階です。私は無事、完全に0本までたどり着くことができるのでしょうか(知らんがな)。

煙草をやめて趣味に打ち込むほうがきっといい人生が送れる気がした。

毎日仕事帰りにコンビニ寄って煙草を買うか、出勤途中に煙草を買うかは欠かせない行動だけど、毎回思うのは、この煙草代がなければもっと食べれるし飲めるし、充実した生活が送れるし、おまけに借金も早く減るだろう。

だからここで宣言する。

今日から煙草を吸うのをやめる。誰のためでもなく自分のために。

思えば煙草を吸い始めて良いことはすべて錯覚だったような気もする。世の中の嫌なこと、つらいことすべて吹き飛ばすために煙を吐いて誤魔化し続けていた。

おかえで歯はボロボロになるし(治療に通う時間もない)、借金はいつまで経っても減らないでむしろ増えるばかりで、そりゃ1日1箱以上吸ってたらそうなんだろうけど。

だけど、去年面接をたくさん受けてもなかなか定職にありつけずに無職であり続けた最悪な時期を乗り越えてこれたのも煙草のおかげではあったので、その時期の自分には必要だったのかもしれない。

でも、今は安定した職にも就けているし、給料も充分得られている。もう煙草は必要ないんじゃないか。ここは借金を減らすために決断する時だ。

このままじゃ駄目だと思った。自分を改善してゆかないと、長時間働く努力が煙になって消えてゆく。

趣味に対する熱意が足りていないのかもしれないと思った。

会社で出会う年上の男性は、過去に煙草を吸っていたが今はやめているという人が多い。理由はいちいち聞いてないけど、やがてはやめるところに行きつくというのは、煙草を吸うことが無駄だと気付いた瞬間が、安定した生活の中で突如として自分の中に降臨したのかもしれない。

なくても生きてゆける。

本当は、やめると決めたら今手元にあるセブンスターの残り18本もごみ箱に迷わず捨てるほうがよいんだろうけど、まだ未練が残っていてそこまでには至っていない。この18本が18本のままで最後までいけるように、趣味に打ち込んでゆこうと思っている。また随時、実行できているか報告してゆきます。今日からもう少しいいものが食べれるかな……

リアルの報告をネットですることは、本当は必要ない。

ブログに文章打ち込んだり、あるいはツイッターでつぶやいたり、誰かと話をするためにいちいちネットに繋いでいる時間がつまらなく感じる。

現実の時間のほうが楽しい。だがこうして文章を打っているのは何か不満があるからなのか……

今は恋愛が楽しいからその報告をブログにしているが、それが恋愛したくても出来ない人を傷付けているかもしれない。いつも頭の隅にある。昔は非モテの人と仲良くしていたこの俺が、ラブホを爆破したいと叫んでいた俺が(いつかは忘れたが確かにそんなことを叫んでいたような気がする)、嫁に子供が産まれたという報告記事を消滅させたこの俺が……今では恋愛出来ない人を傷付ける立場に……手に入るのか不安だったものを手に入れてしまうと、それを所持することが当たり前になってしまう。それと同時に、同じ悩みを抱えていた過去の仲間を簡単に裏切り、意識してかどうかはわからぬが自分より下に見ようとする生き物だ。だが俺も自分に子供が産まれていたら、子供がいないことで悩む人の心をも裏切っていただろう……そうならなくて良かったのか。大切なのは、自分が運よく得られたものを、まだ得られないで苦しみもがいている人達のことを馬鹿にしないことだと思う。

一番つらいのは、はじめから何もないことなのだから。家族や恋人や子供に対する愚痴を言えるのはまだ幸せな証拠だよ。何もない人にはそれを愚痴ることすらできない。愚痴を言えているうちは、まだまだだよ、お前らは……本当の孤独を知るのは、一度もセックスをせず、恋愛もせず、勿論結婚も、子供も成すこともできない、そういう人達のことを言うんだよ。

だけど、厄介なもので、本当に悪意なく行われる幸せの報告というのもある。

現実の幸せを見つけて、それをいちいちネットで報告しなくて済むようになれることが、一番の精神の安定だろうが、俺も含めてどうも不安定な人が多い。

あるブロガーに子供が産まれましたとか、俺のように恋愛してますとか、そういう報告をいちいちネットでする人ってのは、なんでそれをするのかというと、その報告する幸せだと思うことが、まだ不特定多数に話を聞いてもらわないと不確かなものであるという認識の下行われている、その人にとっては生きるための確認作業なんだろうな。

不安なことが何処かにあるんではないかと俺は思う。

他人の幸せ、目に飛び込むだけでいちいち嫉妬するのもつかれるので、それが完全じゃないことを念頭に置いて、その対象を見る冷静な視点が必要なのかもしれない。じゃなけりゃ、俺は気が狂う。

気が付くと……何が一番悲しい?俺が悲しいと思うのは、どうにもできない生まれながら持つその人の顔や身体的な特徴で、どうにもできないのに一緒にいなくちゃならないと自分に思い込ませようとするから心の何処かが悲しいんだよ。

悲しい。本当に満足はしていなくていつも妥協している。それがネットで自己表現することにより少しは解消されるのかどうかはわからない。

時々、現実を抜け出し、文章を打つことにしがみつきたくなる不思議な気持ちは何なんだろうな。今の俺に承認欲求を満たしたい気持ちはほとんどない。アクセスが減り続けても、会いもしない貴方に何かを伝えたがっている。

だけど忘れてはならないのがネットは遊びだということなんだ。リアルで体感出来る感動を超えることなどできないので、早くネットから離れることに尽きるんだが、仮にリアルがまた上手くいかなくなった時、この心を誰に伝える?その時、このブログがあったほうがいい。

承認欲求が満たされている状態を持続させるのはものすごく難しい。

そしてそれを持続させるために割く膨大な時間は、リアルの貴重な時間を奪ってゆく。

俺はそんなことをするよりも素直にリアルを生きる自分と向き合うことをしたほうがいいと思う。

報告も本当は必要ないんだ。リアルで完結すべきものを、わざわざネットに持ち込んでいるだけで、自分がそれをしなくてはならないほど不安定なのだということを知ることから始めれば、リアルで得られるすべてのことにより真摯に向き合うことが出来るし、信用も得られるようになれると思う。

一か月以上連絡がないので諦めていた会社の男性に久々に逢えたので、連絡しなくてよかったということなのか……

自分が主人公になれる恋愛ほど、生きる原動力に容易に直結するものが他にあるとは思えない。特に上手くいき始めている時、そう感じる。

初めに視線が交差した時から……これまでを振り返れば、既に書き記されたストーリーの上を歩いているような気分だ。

しかし小説のように、しんどいところを早く読み進めることも、いいところでじっくりとどまることもできない。後悔と、駄目だったと思う部分を再構築することの繰り返し。

努力が報われるのは、努力ではどうにもならない部分がもともと恵まれていた人だと思いながら努力せず恵まれていた自分のある部分を愛されることで実感できる瞬間もあるし、愛されたい部分に尽きている運がこの恋愛を終わらせたと絶望に浸ることも容易い。

恋愛が上手くいっていない時は、妙に独り言ばかりが増えてゆく。これまで夢中であったストーリーを途中で放り出してしまいたくなるほど静かに荒れ狂いながら……眠る前に虚しさを増加させる。

何か意味ありげなことを語ってみたかっただけですスミマセン。結論から言うと、好きな男性と一か月以上ぶりにようやく逢えました。

その男性とは同じ会社で出会い、初めのうちは軽い気持ちでしたが、逢えば逢うほどにその男性の持つ魅力に惹きこまれ、今では私のほうが夢中で……片想いなのか両想いなのかもわかりかねる。

だから別れ際には必ず尋ねるようにしている。「また逢ってくれますか?」と問うと「わからない」とだけ返ってくる。

「次の休日は?」「忙しいから無理だと思う」

「その次の週は?」「多分無理」

いつ逢えるのかわからない男性に恋してしまった。

4度目に逢えた時に、そろそろいいだろうと思い、愛称で呼びませんかと尋ねてみたが、あくまでお互いの名前は「さん」付けで呼ぼうと言ってくる。

抱かれて、その後は突き放されているようで、不安な日々を送っていた。

そっと触れた肌に流れていた、汗の感触がこの指に離れない。

体中汗まみれになるほど女を抱くことに全力投球することもできる、その情熱を、とても眩しく感じた、その時からこの男性の虜になった。走り疲れたアスリートのように疲れているその体のみならず、すべてを……他の誰にも渡したくないと思った。

その男性の隠している過去の女も含めて私は感謝する。その過去の女がこの素敵な男性を作ってくれたのだろうか……

そして終わりには、瞳を閉じたままで、体の一部に長い口付けをくれる。背中だったり、膝だったり……私を少女へと変えてしまう魔法のよう。

私はその男性のことが地球上で一番好き。

私の目にはダイヤの原石のように見える。この人の真髄を知るのは抱かれた女だけ。

追いかけたい。いつでもその体に抱きつきたい。好きだって伝えたい。

だけど連絡できなかった。

連絡もこないし、こちらからも連絡しない。

飽きられたのかと思った。私の体に、私の性格に、私のすべてに……

悩み続けた。すべてが本当には楽しくなかった。

実は、空っぽだった。

この休日に連絡がなにもこなければ諦めよう。

その次の休日も同じことを思った。

諦めるなんてできない。

まだ好きだ……

逢わないほどに、もっともっと好きになる。好きになり続ける。

どうしようもない、この心は囚われのまま、貴方の記憶に操られている。

そんな幾夜を越えて……ついに連絡がきた夜は、スマホの画面を見て1分くらいは動けないでいた。

メールを打つのをずっと我慢し続けることが、その男性との恋愛においては正解だったのだろうか。ちなみにその男性は仕事が忙しく、休日にも仕事が入ることがある。

恋愛していると、どれが正解かわからないとき、空き時間にはスマホでネットで恋愛情報サイト巡りをしてしまう。逢えるための、答えが欲しかった。

好きな男性に逢えなくても、相手が「逢いたい」という気分になる日が来るまで、自分からは何もしないで待つことで、また逢えたのかどうかはわからない。もともといつかは逢うつもりだったのかもしれないし、連絡がないことでたまたま夜寂しくなり逢おうと思っただけかもしれない。これまでの体の相性の良さも関係してくるだろうけど、それだけは相手の感覚を通して体感できないため、あくまで自分の願望でしかない。

もう1カ月以上も二人きりで逢ってはいなかった。

趣味に没頭しようとしていた夜……、ショートメールが入る。

……こんな時間に。

想いが同じだった、あるいはただ暇だった、どれでもいい。

「久しぶりだけど」という前置きの後に「まだ起きている?」という内容だったので、今起きたところだと返信した。

好きだということを伝えるために、2~3分以内に急いで返信した。

すると「いまから逢わない?」と、さらに返信がきたので、それは……

逢わなければ嘘でしょう。

すぐに身支度をして逢いにゆくと、私好みの車から降りてくるその雰囲気がいつもと違っている。

顔を合わせた瞬間にこれまで見たことのない……優しい表情を向けてくれたような気がする。久々だからなのか。

逢えない空白の時間が縮まるのに、時間は必要なかった。

趣味が合わないとか、笑いのツボが違うとか、そういった問題は些細なことのように思えた。

二人でいられることがなによりかけがえのない今。

隣にいて、その声に包まれている。すべてが大切で、きっと次も逢える!

そんな勇気がみなぎってくれば、明日以降も頑張れる。

その男性は好奇心旺盛なようで、車のこと、音楽のこと、テレビの中の話題、世界のことについて思いのほか良く知っている。ネットで知りえた情報の知ったかぶりではなく、確かな知識で、明確に答えられる。

だから隣にいて、退屈しなかった。

なにより、楽し気に話し続けるその男性を、その横顔を見続けられる幸せを噛み締めている。

幸せで、私はただ貴方の隣にいられるだけで、それだけでいいです。

もし、付き合ってもらえるなら、煙草をやめることは私の中で決めている。

美味しい手料理が食べたいなら、実家の母に習いに行き、その男性が心から幸せを感じられるよう努力する。

私は、付き合ってもらえるなら、これまでの自分を捨て、自分が不幸だと思う過去も貴方の前では封印し、貴方の幸せを一番に追求する。

自分が追いかけられる側の恋愛もそれはそれで楽しいけれど……

自分が追いかける側にならざるを得ないほど誰かを愛した時ほど、幸せや奇跡を強く感じることなどない。

工場のライン作業ではライン稼働中にはトイレに行けない。あと工場には外国人が多い。

何故私が工場のラインの仕事を嫌うのか。それについてお話ししようと思います。

トイレに行きたい時に行けません。ラインが動いているので、人が機械に合わせなければならない。

ある機械系の工場で、先輩に、トイレに行きたい時はどうするのかを尋ねたら、「我慢し続けるしかない」とだけ言われました。

食品工場である場合もそれは暗黙のルールで、ラインが稼働中に抜け出すことはほぼ不可能かと思います。

それに加えて、大きな食品工場はトイレに行く際に白衣の一部を着脱する場合が多いので、かなり面倒となる。

小さな食品工場であると、そうした細かいルールがなく、白衣のままトイレに行けることもある。

いずれにせよ食品工場のラインに勤務すると、白衣に着替えねばならない。個性が完全に奪われてしまう。帽子を二重に被り、手袋をはめ、長靴を履き、誰が誰なのか慣れないうちはわかりづらい。目だけ出ているので、顔を隠すほうが働きやすいという人には向いているのかもしれない。

顔を隠す、そんな環境では、社内恋愛など程遠い。

食品工場の白衣は仕方ないが、それ以外の仕事に従事する際に、制服というものはスタッフのやる気を左右させるとても重要なものだ。その会社を上昇気流に乗せたいのなら、格好いい制服にすべきだろう。あるいは私服の個性を認めれば、のびのびと個人が能力を発揮できる。

また、工場のライン作業ではアジア系外国人に出くわします。そういう人達のほうが、日本人よりも役に立ち、なおかつ日本人に教える立場になっている場合もある。彼らは目の前の仕事を淡々と、しかも素早くこなし、入りたての日本人にその圧倒的な差を華麗に見せつけ、時に心を折らす。

食品工場の場合、主婦が多い。フロアのドアを開けると、そこに何十人という主婦達がいる。その作り出す独特の空気から、悪酔いし、働く以外の疲労感に取り巻かれてしまう。

主婦達は、入社したがこの環境に慣れず精神的に病み何日も休んでいる主婦についてを、うわさし合う。しかしその休む原因を作り出しているのが自分達である。

50代以降の主婦になると、人のプライベートなことを聞きだそうとする。彼女らの楽しみは、もうそれくらいしかないのだ。

女ばかりの職場になると、小さな派閥があちこちに出来上がり、自分達よりも後から入ってくる新人がどうであるかを観察するのが彼女たちの大いなる楽しみなのである。

気持ちよく動くためには、社内の男女の比率を極端に偏らせないことが大事ではないかと思います。

私がこれまで働いたことのある工場について話します。

一番長く続いたのが、パン屋のラインの仕事でした。

何故、辞めたのかというと、勤続年数の長い先輩に、いじめられたあたりから疲労が溜まっていたのかもしれません。

先輩に、時給をいくらもらっているのかを聞かれました。

その時に答えた私の時給が、先輩の時給よりも多かったことから、陰湿ないじめが始まりました。

新しく入った会社では、先輩に時給や、給料の額を尋ねられても、それに正直に答えてはいけない。答えなければ不審がられる場合は、実際に受け取る額よりも、少なめに答えておけば、無用な争いを避けられる。

パン屋で私を長くいじめてきた先輩については、私が追い出した……

先輩が私のロッカーを勝手に開けて、デパートで買ってきた花畑牧場の生キャラメルを入れていたようで、私はそれが誰が入れたものかわからなかったので、その日はそれを持って帰ることにした。

翌日、ラインの前に並んで働いていると、隣にいるその先輩が急にヒステリックに怒り始めた。

「あんたは、人に物をもらっておいて、お礼も言えんのかね!」と。

隣にいる先輩がこちらを向いて、私に対して怒り続けている。そもそもお礼を言われたくて、こちらとしては別に欲しくもない花畑牧場の生キャラメルを入れたのだろうか。面倒くさい、そんなに構ってほしいのか。言いたい放題言っているが、どうしても避けられない状況にされていると思った。とうとう私も我慢の限界を超え、作業の手を止めて、その先輩の顔を睨みつけ、ドスの効いた声で、工場中に響きわたる大声で「お前なにわけのわからんことばかり言いよんのじゃ!人を馬鹿にするのも大概にせえよ!お前が陰で痴呆症とか悪口言いよんのも聞いとんじゃ!なめとったらあかんぞこら!」と怒鳴り返してやると……

先輩は私に対して何も言えなくなったようで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、そして青ざめていた。

普段、大人しい、なにも言い返しそうにない人間が本気で怒った時の恐ろしさを見たか。

工場内がシーン……として、工場長らも、何事か?と集まってきた。その後、社長も含めて話し合いとなったが、私はなにも悪いことはしていない。仕事でも明らかに私のほうが役に立っているので、皆が私の味方になってくれる。翌日以降も私は仕事に行ったが、先輩の姿はもうそこにはなかった。

結局その先輩は自分が会社を辞めるしかなくなり、誰もそれを悲しんだり、残念がる者はいなかった。

そんなこともありましたが、工場のラインの仕事を選ぶ人がいるから、毎日美味しいサンドイッチやおにぎりが食べれるので、その存在に感謝せねばならないのですが、しかし自分がその中で働けるかというと、私はもう無理です。とにかく人間関係がややこしく、環境がそうさせるのかどうかは知りません。

今は、工場以外の仕事に就いています。社会保険にも加入し、何十年でも働けそうな安定した大きい会社の中で、いくつかの業務を任されています。

自分が行きたい時にトイレに行けるし、煙草休憩もいつでも可能。

私は人間として当たり前の権利が通用する会社で働いています。