heartbreaking.

中年の末路とその記録

気になるアノ人

gooブログ関係のスレの中に、ある特定人物を遠まわしに批判する記事があるので、少し気になった。名指しで批判するのは止めたほうがいいと思う。せめて曖昧にしておけ、と言いたい。俺は、その人のブログに、過去にコメントしたことがある。期待して無かったのに、初めて訪れた俺にも返事をくれたのが嬉しかった。また、この人物は、人との距離をとるのが上手いと思う。俺は、返事が付いたのが嬉しくて、その後も数回だけコメント入れてみたのだが。言葉のキャッチボールが下手な俺は、記事から虚脱したコメントを入れてしまい、寒い空気を入れてしまった事に気が付いた俺は、冷や汗をかきながら、あの場所から去った。傷付くこともない、ただコメント出来なくなっただけの話だ。

俺のように、己の意見すらもロクに纏められないようなニンゲンは、足を踏み入れてはならない世界だと解かった。見てるだけの方が楽しいということもヨク解かった(じゃあ黙って今まで通り見てればいいじゃん、俺..orz)。

「見下した物言い」 がうんぬん、という内容のスレは同調できる。俺も、あの人の書く記事を読んでタマに 「ムカッ」 となるスイッチを押されることがある。人を見下す物言いをする人は、その文面からも必ず隠しきれない 「傲慢さ」 が現れる。傲慢を、傲慢と思ってない姿は、どんなに丁寧な 「です、ます」 口調で語ったとしても必ず読む人に 見抜かれている。その人物を批判する気はないけど、批判してる人の気持ちも解かる。

天上世界の住人と、地下の掃き溜めで暮らす凡人の違いは何かと聞かれたら。それは、 「運」 では無い。隠し切れない才能を人々が放っておけないから、自然に天上世界へと浮上するのである。そして、高みに上がった人物を見て、一部の人間は嫉妬する。その嫉妬する気持ちもわからなくもない。だが凡人は、天上世界に住む人が、それなりの 「リスク」 も背負っていることに案外気が付かない。そして俺も解かろうとは思わない。そこが、決定的な隔たりを生むのである。

それを考える上で逃れられない大事なポイントがある。それは、ブログで扱う内容の方向性に尽きる。その人物のブログを隅から隅までヨク読んでみると、gooブロガーの気持ちを力強く代弁してくれている記事が多い。凡人には 「ああー、gooブログスタッフに伝えたいのにどう伝えればいいんだ?」 とモヤモヤしてムズ痒いポイントを、簡潔な記事で容赦なくガリガリと掻き毟ってくれている、この人物の存在は、好む・好まないに関わらず、gooブロガーにとって、無くてはならない存在なのである(ナニ、ヨイショ!してんだ。馬鹿か俺)。

その人物を取り囲む、取り巻きがウンヌンとか。そんな話以前に。自分が今、使っている 「gooブログ」 という未だ不鮮明な存在が、どんな存在であるのか。その化けの皮をジワジワと剥がしてゆく、そんな面白いブログが他に存在するだろうか?いや、無い。俺は、あれほど面白いブログは見たことが無い。と共に、あの人物を、言葉で言い負かすことが出来るほど完璧な人物が居るのなら、是非、戦いを挑んでその勇姿を見てみたいものだ(俺は、力あるモノには、尻尾を振って媚びる性質だから、無理っぽい)。

俺と同じように、オタク向けな内容扱うブロガーは、あのブログに関わる機会無いだろうから。こんな記事書いても誰も読んでないでしょうけど。

[高慢ちき(「ちき」は接尾語): いかにも高慢で小憎らしい様。また、そういう人をののしっていう事を指す]

後日: 俺の勘違いだったのかな?そうでも無い(ナニが?)

つーか、世の中は広い。頭のイイ人はドコにでも存在する。気付かないダケ。そうゆう人こそが、スポットライトを浴びるべきでないか?と、俺は、あのヤリトリを見て、心の底から感じたよ。

goo blog funamushi2 - 2005-05-06 16:07:43 コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )