heartbreaking.

中年の末路とその記録

言葉でも、金でも解決しない。欲しいのは命だけ。

世の中、不幸な話がいくらでも転がっています。……わかっています。俺だけが不幸では無い、と。人は誰でも、重荷を背負っていきています。でも、その重さは、異なります。大きい荷物を背負った人、小さい荷物を背負った人……その違いは、長い人生において、歩めば歩むほど、乗算されてゆく重みです。だから、最終的に、皆が同じ苦しみを味わって死ぬとか、平等に神様は試練を与えたとか、そんな奇麗事に俺は一切耳を傾けたくありません。そんな奇麗事を言える人は、結局、小さな荷物しか背負っていない人だからです。

俺が、この世で一番重い十字架は何かと問われたら、近親相姦です。 俺は、全てを許すほど、心の大きな人間ではありません。この先、子供を産むことすら絶望的な俺はどうやって生きてゆけばいいのでしょうか。こんな話を、貴方は笑って聞いているのでしょうか。俺は、人の不幸話を笑顔で聞くような人間は、信用できません。貴方が俺の痛みを解からないように、俺も貴方の痛みなど解かりません。何故なら、その痛みは、けして替わりに背負ってやることは出来ない痛みだからです。だから俺は、知ったふうな顔で、正論を言う人が嫌いです。

俺が精神的に異常だと思いますか?……誰かが犯されて孕んだとか、弄ばれた挙句殺されたとか、そんな話を聞いても、俺は表情ひとつ変えずに、空っぽの心で、いつもあの場面を思い出しています。いっそ、あの時に、遊ばれた挙句殺されていたほうが、まだ良かったのかもしれない。こんなに誰かを傷つけて、自分を空っぽにするぐらいなら、死んでいたほうが良かったのかもしれない。

結局、カウンセリングだとか、心の病を取り除くためとか、そんな奇麗事で人助けをしようとする人達が、どんなに親身に話を聞いてくれたとしても、実際、同じ痛みを味わってもらわなければ、本当の意味で理解してもらったことにはならないのです。それなら、見ず知らずのお前ごときのために、どうしろというんだ?と頭ごなしに正論を叩きつけながら、ふざけるな、我がまま言うな、と激昂する人が居ます。そうゆう人は、人の話を聞いてるふうでも、結局は何も理解しようとはしない、うわべだけの薄っぺらな人間です。

人間、全てを失うと、空っぽになります。過度に、TVのドラマや、映画の不幸な主人公のように、いかにも不幸そうな顔をして泣いてばかりの人だけが、悲しみを背負っていきているわけでは無いのです。そんな、大げさな悲しみの表情を作れるうちは、まだ、そんなに苦しんでいるとは到底思えません。人間は、本当に悲しいときは、感情を失います。笑いもしなければ、怒りもしない。それが、本当の悲しみだと思いませんか。貴方の近くに、そんな寂しい表情をした人を見つけたのなら……助けてあげてください。

今まで、義理兄と、ぼかした表現をしてきましたが、これは俺の血縁関係にある人間です。今ここで、ソイツの顔写真を晒して、ついでに、事細かにソイツの全ての情報を晒し者にしたって、俺は何も失うモノはないので構わないのですが、仮初めの謝罪の言葉を受け止めた手前、それも出来なくなりました。……俺の、この怒りは、この先一体ドコに矛先を向ければよいのでしょうか……。

貴方は、犯罪者の謝罪の言葉が、果たして真意なのか、それとも芝居なのか……それを判別できますか?俺は、こう思うのです。精神的に異常な人間が、謝罪の言葉を吐いてたとしても、三つ子の魂百までもです。そんなに簡単に、人間は変われるものではない、と俺は思います。どう思いますか?何か、思うことがあったら、気軽にコメントしてください。

goo blog funamushi2 - 2005-06-07 20:35:51 コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )