heartbreaking.

中年の末路とその記録

揉め事は自己否定から始まる。過去・未来の自分を葬る作業に過ぎない

異論・反論は、自己否定から始まります。

相手の急所が解るから、的確な突っ込みが入れられるんですよ。[揉め事]が最終的に妥協のかたちで終結するのも、突っ込む側は過去の自己矛盾を、突っ込まれる側は現時点の自己矛盾を、互いに芯の部分では理解しているからに過ぎません(逆も然り。

どうして反論してるお前が、反論される側の俺の立場を、そこまで読めるのだ?と思うかもしれないですね。それは、貴方を攻撃しているように見せかけた、俺への攻撃でもあるからです。

所詮、揉め事は、他者を攻撃しているように見えても、自分の醜さや愚かさを暴いているに過ぎないのです。揉め事を客観的に見る第三者が、渦中に居る当事者達を、狂っているようにしか見えないのも、当然です。何故ならば、渦中の当事者達は、自分自身を傷付けているに過ぎないからです。

自分の抱える矛盾を、大勢の前で暴いてみたくなるんですよ。それも、他者を攻撃するという手段で。それが論議だったり、揉め事だったりするわけです。個々の抱える矛盾が錯綜する会場ですから、ダブルスタンダードが起きるのも当然の話かもしれませんね。

異論や反論ってのは、自分の愚かな足跡を消すために、過去の自分に似通う者を見つけ出して葬り去る作業でもあります。一人ずつ葬り去る事で、過去の自分の愚かさが消滅するような錯覚を覚えるのです。

また、今、自分が抱える矛盾を昇華した、未来の自分を否定する為の作業でもあります。大人になりたくない子供のような心理です。

それぞれの矛盾を打開する為の[揉め事]なのですから、自分の主張すら未だ迷いの最中に有るという事です。最終的に妥協したように見せかけて、その実、何も解決しないまま、心が更なる混沌の闇に沈むのも当然の結末なのです。そもそも自分自身との戦いであるわけですから、他者を攻撃して解決するわけが無いのです。

揉め事が終結しても、さらなる矛盾を抱えたまま、自分の心の闇に帰るだけです。誰かに解ってもらおうとしても、皆、解ったふりで、本当の意味で分かり合う事など出来ないのです。誰もが、自己矛盾を抱える不完全な存在でしか無いからです。

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goo blog funamushi2 - 2006-05-05 02:22:49 コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )

コメント

Unknown (ののか)
2006-05-06 00:21:44
私は読解力がないのか、どうもこの記事の意味しているところを理解しきれないのだけれど。
きちんとした異論や反論というのは、最初は気分が悪いのだけれどやがて自分のためになるものだと思うんですよ。自己矛盾は誰もが抱えているものだけれど、そういう自分を肯定できている人というのは、異論や反論を受け入れられるのだと思う。
対して揉め事というのは、私はあまり意味のない罵倒のやりあいだと思っているのだけれど、これは自己否定していることに気付いていない人がしてしまうケースが多いのかなと思いました。一方的なものは別として。
罵倒しあっている暇があれば、自分を見つめなおせということになるのかな。

ののかたん、こんばんは。 (ゆがんだはしご)
2006-05-06 02:50:54
嫌がらせ、もしくは嘲笑目的でない限りは、気分が悪い異論や反論ほど、真摯に受け止めるべきかもしれないですね。
それだけ自分の深いところにメスを入れられる相手は、もしかすると、過去・未来の自分ならば通じ合えるだろう、心の友となりえる存在やもしれません。
「自分の矛盾を肯定出来る人」については、他者との違いに気付く事によって起きる心理的な矛盾か、身体的な要因によって生じる心理的な矛盾かによって、肯定出来るか否かが決まると思います。後者の場合は、何を言っても通じないと思います。現に俺や貴方が現実に受けた被害のように。
俺は、揉め事を見るのが大好きですし。この記事の意図を理解出来る人は、拳と拳を交えた言論バトルを経験された方々だと思います。
俺の例で言いますと、ののかさんも加わっていただいたLeiermannさんとのやりとりが記憶に新しいです。
今現在、Leiermannさんが、鬱病に対しての考えを改められている姿からも、常にブロガーは、過去・未来の自分自身と戦い続けねばならないのだという事が解ります。
その刹那ごとの想いに、嘘偽りが無ければ、いくらでも拳を交えて、自分ごと他者を戒めれば良いと思いますし、俺は基本的に、揉め事を推奨しています。ただ、如何なる場合も回帰すべきは自分自身の心の中なので・・だからこそ、常日頃から、自分自身を見つめ、律してゆかねばならないのだと思っています。

あ・・ (ゆがんだはしご)
2006-05-06 03:22:00
何か偉そうですね。すみません。自分を律するとか言っても、言ってる本人が出来てないですから(藁。
ののかたん、コメント有り難う。

では私も偉そうに (ののは)
2006-05-06 07:31:40
最初に思ったのが、ゆがんだはしごさんの書いているうつ病の件でした。これはもう経験の違いがあるのかなと思う。私は入院を何回かしているので、実際そういう人たちを見てはいるんですよね。あれだけ苦しい思いをしていて、それが病気として認知されない辛さというのも少しは見聞きしているから、何とも言えません。
で、偉そうなことを言ってみると、はしごさんはLeiermannさんのことを言っているけれど、では自分はどうなのかという視点を持つのは大切なことなのかなと思った。私は、あの時はすごく虚しくなったので止めました。
被害を受けたことに関しての無理解に対する怒りのようなものは、今まで何回も出てきたと思う。では自分は他者を理解しようとしているかどうか、ということを私は思います。私は理解してくれようとする人の存在は大切にしたいと思う。「どうせ、あなたには分からない」という態度はとりたくない。
ごめんなさい、三段落目の意味が分かりません、先生。
そして「自分の矛盾を肯定できる人」ではなく、「矛盾を抱えている自分を肯定できる人」です。ちょっと言葉遊びっぽくなってしまうのだけれど。
私は揉め事は好きではないのですけれど、それは常に自分の中で揉め事を起こしているせいからかもと思いました。世間はそれを葛藤とも言いますが。
無駄に長くてすみません。そして記事の話題とずれてしまいました。ではでは。

えへ (ののか)
2006-05-06 07:34:14
「ののは」になってます。
自分の名前を間違えたのは初めてです、先生。笑ってください。

ののか君、こんにちは。 (ゆがんだはしご先生)
2006-05-06 14:37:50
・「病気として認知されない辛さ」
の部分ですが、認知されないという事は、それを認められるだけの過去の辛い出来事を口頭で語れないからだと思います。
理由が実に曖昧で、最初から「逃げ」が目的なだけだと、第三者にも簡単に見破られてしまうほどの苦しみでしかないからだと思います。やはり原因あってこその苦しみであると思います。ののかさんと俺には、原因が有りますよね。だから、原因も無いニセ鬱患者の事まで心配してあげることは無いです。
・三段落目についてですが、
日常生活に支障をきたすほど、身体的に他者と異なる外観もしくは、 過去に何らかの身体的な被害を受けた事による、現在も継続する身体的な苦しみを背負う人々については。この身体的な矛盾については、どう足掻いても打開する事は出来ないのだ、という主張になります。
これを前提として、この身体的な矛盾を突く(もしくは、その差別意識を匂わす)ような卑劣な言論バトルは断じて許すべきではないと思っています。意外と、政治家に多いかもしれません。
確かに三段落目の意味は分かり辛かったですね。ののか君、先生の言っている話を実に良く理解し、素晴らしい質問だよ。先生は感動したよ。・・・とか言ってみてえなあ!とか思いながら。スミマセン
・「自分の矛盾を肯定できる人」と
「矛盾を抱えている自分を肯定できる人」
の異なりに、ののか君は拘っているようですが、確かに後者の方が、より客観的に自分を見つめている姿勢が伝わってきますね。
・『常に自分の中で揉め事を起こしているせい』=葛藤
については、同感です。ののか君は、鋭いね。
「先生」と呼ばれたので、先生面してみました。先生は、授業料を求めています。ブラジャーで我慢しようかな。あ、ちょっと酒飲んでるから頭可笑しいかも。

追記 (ゆがんだはしご)
2006-05-06 14:43:51
「過去の辛い出来事を口頭で語れない」
についてですが、女性が身体的に受けた被害については、言い辛い事もあるだろうから、これも一概には言えないですし。ののかさんのように、信頼出来る医者に出会わない限りは、口をつぐむしか無いでしょうから、これも難しいところなんですよね。
言えない事もありますし、俺も、いざ医者の前で過去の事を話すとしても余程信頼できない限りは、全部話す事は出来ませんから。

・・ (ゆがんだはしご)
2006-05-06 15:23:06
身体的にが多すぎてウザイですね。
ののかさんのおっしゃる通り、俺自身は、相手を理解しようと努力しているかについては、考えたいと思います。PTSDって知ったの最近なんだけど、自分しか見えてないかもしれないなあ。


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