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heartbreaking.

旧URL http://kuroihikari.hatenablog.com/

 

男も女もない、個体のまま静かに滅び行けばいい

男の鎧-男性性の社会学

上記の記事を読んだ感想というか、内容をなぞるだけかもしれないけど、俺なりの考え方を纏めてみた。

女性は、政治や仕事において重要な任務(支配する側)に就くべきではないと思う。

女は「○○してあげる」とか恩着せがましいところが多い。だから「○○してあげる」的な職に就けば良いのだ。笑顔で居ればそれで大体の事は何とかなるだろう的な仕事(受付け・お茶組など)に留まるべきだ。

筆者の纏めの通り、女の"子"の気分のまま大人になってしまった女性が多いのも原因か。無償で何か人助けになる事をするという概念はなく、常に見返りを求める傾向にあるように思う。それは女が子宮で物事を考える生き物だから、毎月生理が来て体調が著しく変化し続ける不安定さからも伺えるように一貫性を得がたい情動的な生き物なのだ。ゆえに女は感情の動物だから、自分があるがまま有りたいと願う感情を交えずして物事を冷静には捉えられないようだ。女は自由を好み、抑圧を嫌う。つまり女は我侭な一面を持ち合わせていると言える。それは幼少期の教育課程において、男ほど「我慢しろ」とは躾けられていないケースが多いから仕方無い。

フェミニズム(女性尊重主義)による女性の意識改革に順応するように、男も従来の男性性に対する既成概念を変えざるを得ない状態が、社会全体に歪みをもたらしている。なんだかんだいっても時代を動かしているのは男なのだ。女の政治家がスピーチする様を見て何か違和感を感じるのは、我々の根底に「女がしゃしゃり出るな」「きぃきぃ、うるせーな」って感情があるからであって。対等に話を聞こうか、という段階まで至らず除外してしまう。それは政治家に限らず、あらゆるシーンにおいて言える事だと思う。街を歩いてるスーツ姿の人々に目を向けても、先陣きって歩いてるのは男の上司であって、女はスカート履いてそれに追随するかたちで歩いている。女が「スカートを履く」という義務付けが成される企業が多いのも、「女らしさを養え、そして男のテリトリーには介入しすぎないように」と女の潜在意識に躾ける一貫かもしれない。(-余談だけど、スカートを履くのが趣味な男性も存在する)

従来の男性性を失いつつある男たちがテレビなどで表舞台に立ち、まるで女のようにあるがままの感情を表現しても許されるならば、それを見た女たちは、ふーん男ってこんな弱っちいんだと鼻でせせら笑うだろう。じゃあ女は同胞としての男とどう対等に渡り合えば良いのかと考え戦略を練り始めるに違いない。男は馬鹿で、女は狡猾な生き物なのだ。男は従来の男性性を自ら放棄する事によって、女にあらゆる主導権までもを明け渡そうとしている。俺のようなどっち付かずな男が増える事は、男たちの生命の存続を長きに渡って考えた場合、自殺行為とも言える。

男は、女の信頼を得なければ生き残れない脆弱な生き物なのだ。女に信頼されなくなり見捨てられた頃に、精子さえ取り出せば子供は作れる的な世の中になっていた場合、男こそが不要となってしまうのではないかと危惧される。

いずれにせよ、フェミニズムと同性愛者の意見に男たちの脆弱なアイデンティティ(自己同一性)は圧殺され、従来の家父長制を重んじる型の男たちは確実に居場所を失ってゆくに違いない。

女が男の職を奪うかのようにあらゆる分野において介入し、男が男たる所以でもある活動領域を侵食してゆくから、男が男たる所以の男性性の既成概念に自ら追い詰められ、あらゆる居場所を無くして行くのかもしれない。

非モテやオタクから抜け出せない男が、女を憎んでしまうのも、女が過剰に社会進出をし頑張っている姿への憎悪なのかもしれない。女たちは全てを獲得しようとしている。男は一人では何も生み出せはしない。女に影響を与える事は出来ても、女のように子宮を持たない男たちは一人では何も出来はしないのだ(この考えは確か何処かのブログで既出だった気がする。

以下はkagamiさんの過去記事だが、最終的には男は不要の社会となるかもしれない。人間が人間の生命を操るという神の領域を侵す事により、男は淘汰される運命にあるのかもしれない。

男性は絶滅する!!

「子供産めない女の孤独は置き去りかよ」とお怒りの女性も居るかと思うが、結局のところ俺が望むのは全ての生命の静かなる滅びであり、男も女も関係なく全てが個体として生きて行けば良いのだと思う。結婚もしなくていい、つがいになる必要はないのだ。一人一人が独立して生きて行けばいいだろう。それが俺の望みです。

kagamiさんの記事の通り、

 > もう男性と女性は、少なくとも日本のような国では完全に別々の場所で暮らした方が幸せになれるような気がひしひしとしてきてしまいます…。

↑ 俺もこの考えに賛成です。

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goo blog funamushi2 - 2006-09-25 04:58:08 コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )

コメント

Unknown (ゆがんだはしご)
2006-09-25 05:15:37
この記事とは全然関係ないのですが、「あげる」という表現について以下のような考察もあるようです。参考迄。
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-121.html

Unknown (R)
2006-09-26 16:46:56
私も男性と女性が別々の場所で暮らす方が幸せ、という考えに賛成です。
女子高時代、幸せだったことを思い出します。
自分が女であるという自覚を危うく失いそうになるほど、居心地のいい世界でした。
きっと性の概念自体が存在しなくなるのでしょう。
それから以前高橋や詩について言及したこと、
良かったのかどうか考えていました。
慰みに留まっているのであれば幸いですが、
何か邪念が入るようなことがあったらお詫び申し上げます。
また高橋の思想は宗教哲学なので、
正直私も難しすぎて頭がついていきません。
凡的な理解に留まっています。
途中でめげてしまったとのことですが、
こちらこそ押し付けのようで申し訳ありませんでした。

Rさん、こんばんは。 (ゆがんだはしご)
2006-09-27 00:03:54
高校に限らず、幼稚園・小学校時代から男の子と女の子を隔離した方が良いと感じています。
小学生の子供たちが、上半身裸で乳首出してるのも非常に危険だと思います。最近では教師が教え子に不埒な行為をするようなモラルの欠けたニュースが多いですから、「男には男の教師を」「女には女の教師を」ってのが良いかもしれません。
俺はずっと共学だったのですが、共学だとブラジャーが透けてるのとか、いろいろ気になって何だか落ち着かなかったです。勉学に集中するためにも、男と女はきっちり区分すべきですね。見てないのに見てるとか自意識過剰に振舞われるのもお互いに不愉快だろうし。青春時代の心の傷跡が、一生トラウマになる事だって考えられる。。特に学生時代はまだまだ子供ですから、言って良い事と悪い事の区別が付かないで、相手の外見の劣る部分をズバッと言ってしまう人も多いですね。
http://www.ten-f.com/sub1.html
高橋さんの生い立ちの記事を読んでも邪念だとは感じませんでした。俺が邪だと感じるのは、俗に塗れた者達だけであり、例えば瀬戸内寂聴さんのように過去に俗に塗れた人生を歩んだ女性のような下品な輩は苦手です。俺は純粋で孤独な人を追い求めているのかもしれない・・。でも、そんな人は何処にも居ないんですよね、皆、見えないところで穢れきっているから、だから知るのが怖くて深く繋がるのを怖がってばかりの毎日です。
いつもコメント有難うございます。

こんにちは。 (fivesister)
2006-09-29 13:36:18
差し出がましいかもしれませんが、どなたもおっしゃられないので・・・。
「毎月整理が来て体調が著しく変化し続ける不安定さからも伺えるように・・・」という一文の中の言葉「整理」→「生理」だと思います。

fivesisterさん、有難うございます。 (ゆがんだはしご)
2006-10-01 02:20:07
う・・うひゃっ、ただでさえ恥ずかしい言葉なのに、間違っていたとは露知らず・・。ご指摘いただき有難うございます。すぐに訂正しようと思います;;
確か以前は、801を891と勘違いしたり、腐女子を婦女子と間違えたりもしてました。。常習犯です(藁。


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