heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分の容姿に対する採点が甘いかもしれないのでネットの自己評価は信用しない

養護施設の女性たちに、「私が美人だから嫉妬しているのね」「私の若さに嫉妬しているのね」…などと言われましたが、貴方たちの顔写真も見ていないのに、私がどうやって貴方たちに嫉妬するのか?不思議でした。

私の顔は、平凡な顔なんですけど、鼻の形がもう少し整っていればなあ… という悩みはあります。

顔のパーツの中でも特に、鼻は重要ですね。鼻の整形手術に拘りすぎてノイローゼになる人が多いようです。そして顔の一箇所のパーツに拘りを持ち始めると、鏡を見る度にそのパーツの事で頭が一杯になり、実際はそんなに醜くもないのに、自分の顔は醜い… と「醜形恐怖」に陥ってしまう場合もある。

醜形恐怖の人は、たまたま悪い状況の時に、運悪く意地悪い誰かにそれを指摘されただけの記憶を、いつまでも気に病んで立ち直れなくなっているのだと思う。私もたまたま急ぎの用事で髪も服装もセンス悪いまま出かけた先で、若い女の子の集団に遠くから笑われた事がある。それから数日は「自分は笑われた… 自分は醜いのではないか?」と悩みました。

自分は醜い…… と悩む人ほど実はそんなに醜くないのかもしれない。潔癖症なだけかもしれないし、自分の容姿に「素」の完璧さを求めすぎるあまり、磨いた時の自分の美しさには価値を感じられないだけかもしれない。

テレビでよく「美人おかみが」などと評される旅館のおかみを見てみると… これが美人なら皆、美人だよと思う程度の女が多いです。地元の名産品をPRする「○○娘」なども、化粧で精一杯カバーしてそれか… って程度の女が多い。だけど彼女らが「美人」だと評されるのは、彼女らの身の振る舞いがそれらしいものだから、とりあえず美人という事で世間を妥協させているだけなのか… たまたま人に指摘されずに運良く生きてきたから自分の容姿を客観視せず、楽観視しているだけなのか。誰もが心に疑問を抱きながら、彼女らを見ているはず。

自分の顔を「美人だ」と自己評価できる人間の言うことを信用してもいいのだろうか?自分の外見に何のコンプレックスも抱かず、楽天的な思考しか持たない、挫折を知らないおめでたい人間なんだろうな。

外見についてごちゃごちゃ抜かす前に、まずお前の顔写真見せてみい。俺は写真を見ない限りは、お前らの容姿なんか信用しない。タッキーの顔が桜井和寿と葛山信吾に似てるってのも、信用してない。つーか葛山信吾の顔ムカつくんですけどっ!

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goo blog funamushi2 - 2007-09-08 15:27:25 コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )