heartbreaking.

中年の末路とその記録

現実世界で最も重い話を打ち明けるチャンスは一度きりだと思った方がいい。

暗い長文ばかり連投ですが、私の個人的な話に興味ある人だけ話聞いてください。

私の幼児虐待の話を「しつこい」「いつまで繰り返すつもりなんだろう」と心配している読者が居るかもしれない。三年近く前とほとんど状況が変わってないのが笑えるかもしれませんが、あれから何も進展してません。

加害者の一家が経営する会社が借金地獄で、私の幼児虐待について考える暇がないからです。私は加害者の家の前を通りかかる度に、ガラス越しに中を覗いてみるのですが… 人の気配がほとんどありません。

加害者の生活の事情によって、被害者の意見が聞き入れられるかどうかが決まる。だから加害者の生活に余裕がなさそうな場合は、「今それどころじゃないんだよ!」って逆ギレされて門のところで追い出されるはめになる。こちらが被害者でもそうなる。

もし貴方が性的な暴力の被害者であっても、その加害者の男に嫁や子が居た時点でもう貴方の意見は「今頃なんだ?」の扱いになる。信じたくないような話こそが現実です。加害者は耳を塞ぐことが出来ても、被害者は出来ません。だから必死でドアを開けてくれと叩くのです…

現実は、ドラマのように次々と新しい展開が生まれるような単純なものじゃない。裁判でもそう、何年経ってもほとんど状況に進展がない話こそが、ノンフィクションです。

何故ならば、悪いやつらにも生きる権利があるからだ。心があるからだ。それを無視して被害者の意見だけを通すことは出来ない。そして悪いやつらが生きていられるのは、自分の罪を上手く正当化させる能力に長けているからです。反省などするわけがありません、罪の重さを正しく認識し本当に反省したならば自殺を選ぶはずです。

全ての被害者の願いはただ一つ。加害者の死、それだけです。加害者が反省したとか、今は真面目に働いているとか、そんなのは正にどうでもいい話で、加害者が死ぬことによって、ようやく被害者やその遺族たちは安心して残りの人生を過ごせるようになるのです。

ドアの近くを通る度に加害者の復讐で殺害される妄想が始まるんです。だから戸締りをしっかり確認しなければ安心できない不安な日々を送っているのです。勿論、加害者の復讐なんて、あってはならない話ですが…

現実世界で揉め事の渦中に立ち会った事はあるかい。

現実世界では、「言うべきタイミングで、的確に言葉を発しなければ」もうそのタイミングを外した後では、誰も話を聞いてなどくれないんだよ。最も重い話を打ち明けるチャンスは一度きりだと思った方がいい。その一度をきちんと伝えられずに、うやむやにされてしまうと、よく理解出来なかった相手はただ理不尽な怒りだけを持て余し、その後の話をすべて遮ろうと圧力をかけてくる可能性が高い。

私は身内の喧騒に飲まれて、最も重要な部分について話す「声が届かなかった」んだよ…… いや、私はかなり声を張り上げていたのだが、周りに9人居たので、9人全員がわめいている状態だったので私の声は届かなかったんだよ。そして同じ言葉をもう一度発しようとした途端、皆が好き放題に感情を爆発させるから、私の声は結局、誰の耳にも届かなかった。この悔しさが解るかい?こっちは20年以上も誰にも言えずに耐えてきた苦しみを何とか言葉にして伝えようと努力しているのに、誰も私の話を聞いてくれなかったんだよ。こんな「声の届かない」ほどの喧騒の中で、一体どれだけの被害者の意見が殺されてきたのか… 声の大きい奴なんてろくな人間が居ない。

桂三が一生独身のまま生きてくれれば、もしかしたら私はこの虐待の事実を一人で抱えたまま墓に入っていたかもしれない。私は、桂三の顔も姿形も大嫌いだ。気持ちが悪いんだ、なのに私の寝起きの顔は桂三に酷似している。気持ちが悪い… とにかく気持ちが悪いんだ。

長くなったけど、私はここで一人でも二人でも真剣に話を聞いてくれる人が居るとそう信じながら文章を打っている。

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