heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分が本当に守るべきものを殺してまで手に入れたものは、空っぽだった。

私はブログを継続して続ける中で、ネットのみならず現実世界で難問の数々をクリアしてきた。今、私が生きているのもすべて、ブログに没頭した日々があったからで、ブログがなければ私は何処かの海に身を投げて死んでいただろう。

私はブログを閉鎖したが、やはり文章を打つことをあきらめきれない。

私は自分の人生をブログに打ち込んできた。本筋に嘘をついていなければ伝わるし、自分独自の芸も盛り込んで個性を出すよう努力していたので、個人ブログにしては読み物としてそこそこ楽しめるブログになっていたと思う。

だがその影で傷付き、犠牲となった人たちが存在することを私は一度でも真剣に考えたことがあっただろうか。

過去ログについては、長年苦労して打ち貯めてきた文章なのですべてローカル保存している。しかし過去に打った自分の文章はもう今の自分にはどう逆立ちしても打てないクオリティのものが多く、今後ここで新しい文章を打つとしても、そういった過去の蓄積に頼ることなく・それ以上の水準のものを新しく生み出せる自信もない。でももう遊びからは卒業しないと駄目だ。

自分が本当に守るべきものは何なのか・・・ 今まで一度でも真剣に考えたことがあったならば、あんな文章の数々は打てなかったはず。ネットで手に入れた影響力を持って、自分にしか成しえないことをいつかこのネットの世界で爆発させるのだという野望を抱いていた。

しかし自分が手に入れた力は結局、自分を信じてくれた人たちを傷付ける結果しか生み出さなかった。こんな結果を生み出すために私はブログを何年も続けてきたわけではない。

ブログを消すのは簡単だったけれど、自分が今まで膨大な時間を割いて築き上げてきた記録が消えることは筆舌に尽くしがたいほどの悔やみであり、例え自分の手元に全データをローカル保存してあるといえ、誰の目にも今後触れることない場所に・外向けに自分の能力の限界を超えて生み出してきた文章たちを眠らせることが悔しくて残念でたまらない。私は自分の文章に恐ろしいほど執着している。でもいつまでもそれに執着することは、守るべき大事なものたちをいつか傷つける結果しか生まない。いきなり聖人君子のように変わることなどできはしないが、少しずつ変えていかなければならない。

文章は継続して打たねば文章力は確実に落ちるので、なんらかの文章をここで打っていきたいと思う。