heartbreaking.

中年の末路とその記録

嫌なら見なければいい

現実世界の誰かを陥れてやろうとか、明日の生活もままならないほどそいつのすべてを奪ってやろうとか、そこまで具体的に誰かを傷付けるためだけに行動したことは一度もない。私は誰も殺していないし、何かを奪ったこともない。

言うのは、いくらでも言えばいい。だがそれを現実にやってしまったら終わりだと思っている。

それは何故かというと、情けの心があるからだ。幼い私を監禁し、弄んだ親戚のお兄さんにも心があることを知っていたから、情けをかけて何年もの間そのことを黙っていた。私ひとりが耐えて生きてきた。

ネットの世界のことは、ネットの中だけでやりあえばいい。そのためにいくらでも文章が打てる。ブログ人格というものもある、ブログに綴られた文章そのままを鵜呑みにして、こいつは悪い人間だ、こんなことを考えているのか失望した、だから俺が退治してやろう、現実世界でも生きていけないように破壊してやろう。

ネットのブログに打たれた文章に少々腹が立とうとも、そこまで具体的に行動しようとは思わない。

嫌なら見なければいい。強制的に、読めと言って押し付けているわけではない。私の文章が現実世界の誰かを殺すことはない。これはただの文章だからだ。