heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分が幸せになっても、それでもどうしても許せないことがあります

幼い私を虐待した親戚の兄達は、結婚祝い金を一円もくれませんでした。

祖母は一万円をくれましたが、別に欲しくもない金でした。

私が結婚出来たからといって、過去のことがすべてなくなったわけではありません。

小さな女の子を、男の子のいる部屋に預けることがどれほど危険なことか、少し考えればわかる。親戚だから、兄弟だから安全だと何故言い切れるのか。そんなことはあるはずがない、と何故言えるのか。

親戚の兄は幼い私を監禁し、昆虫を解剖するかのように興味本位で私の大事なところを深く傷つけました。どんなに泣き叫んでも繰り返し、やめてはくれませんでした。私は気を失い、気がつけば服を着せられて、疼く痛みを引きずりながら家に帰りました。

私は20過ぎるまで生理も来なかったので、自分は普通の女の子のようには生きられないとそう思い生きていました。

女の子らしい体を持てない自分が何で女の子らしくならなければならないのかと、女の子らしさを求める周囲の声には素直になれませんでした。そのまま30近くまで頑固に孤独に生きてきました。

そんなある日、幼い私を監禁した兄が結婚したという話を聞きました。式は挙げずに籍だけ入れたそうです。

私の家に、肉付きの良い若い娘を連れて「結婚しました」と挨拶に来ました。それから間もなく、その娘が女の子を生みました。

私が喉から手が出るほど欲している女らしい肉体を持つあの娘と、一体どのような夜を過ごし、孕ませたのだろう。

私は結婚した今でも、幼い私に性的な虐待をした兄達をけして許すことはできません。