heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分が自分を見捨てなければ、それでいい

新婚生活は想像以上に楽しいです。好きな人と毎日一緒に笑いあい過ごす日々がこんなに楽しいことだとは、30過ぎるまで知りもしませんで、ネットからとんと遠ざかっておりました。

さて、私は不器用ながらも、誰になんと言われようと自分はがんばって生きてきたのだと、自分のことを誉めてやれる人生を過ごしてきました。

恋愛もできない長い長い孤独な日々は、本当に辛かった。全身麻酔の手術を二度して、手術中は寝ていたけれど起きてからは本当に痛くて不快だった。人間付き合いが苦手なので、職場でも馴染めず職を転々とするのが辛かった。でも、いつどんなときでも自分は精一杯やってきた。誰に何を言われようとも、それでいいんだと思う。

ただ・・・

なんでもかんでも「がんばる」んじゃなくて、「なにを」がんばるのかが大事だと思った。こんな時代だからこそ、惑わされず、着実に生きる道を選ぶ勇気が大切。

「なんのために」がんばるのかという目標を立てることも大事だけれど、それを実現するために「なにをがんばるのか」の部分を犠牲にしすぎるのは、結局最後には不幸な結果しか生まないような気がした。

なにをするにせよ、がむしゃらにがんばれば最終的にそれなりの結果らしきものは出るだろう。だが結局「なにをがんばったのか」の部分でその人間の価値が決まるのだと思った。

「だれのために」がんばるのか、ということも結局、「なにを」がんばるのかの部分でつまづいてしまうと、最後には信用を失い、それもやはり、つまらない・どこか虚しい終わり方しか出来ないだろうなと思った。

人生は、寄り道も少しは必要だけれど、いつどんなときでも、「なにを」自分はがんばっているのかの部分で、自分の胸に手をあてて考えたときに自分をほめてやれるようなことをして、がんばって生きていきたいものだなと思った。