heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分の愛すべき文章が消えた時、このネットの世界は荒野になる

ブログを持つブロガーさんたちも、芸能人やアーティストと一緒で、売れどきが勝負で、売れてるうちに、とにかく間をあけずに、ファンに休むひまもあたえず次々と自分を出し続ける「勢い」が大事なんだなあと。いや、なんとなくコンビニかどっかでよくシドの歌を聴くので、彼らをよく知らない者からすれば「あー、売れてるからどんどん新しい曲出してんのかなあ」と思える(それが新曲かどうかは知らない)。なんだかこの歌声、あちこちでよく聞くようになったなあ・・・ そうさ、それでいいんだ。売れてるうちにどんどん出しとけ、と思った。

何かを発信する立場と、ただ受信するだけの立場。一度でも、発信する側の快感を知ってしまった者は、一番勢いのある時代の自分が「永遠」になってしまう。失速した自分の姿は、まわりから見ればみっともないだけだったり「まだいたんか」程度のもんだろうけど。勢いをつけたまま走り続けることをやめたときが、素人が発信者として輝き続けることの限界地点なのかもしれない。

長年愛用してきた愛着のあるブログ名とブロガー名を一度に失った代償として得たこの平凡な幸せは、確かに魅力的だけど、その幸せに殺されてしまった、かつての自分のネガティヴな感情が生み出す文章力がどんどん衰えていくのを感じて、最近は自分の時間はあっても寝ているだけで終わってしまったり、文章を打ちたい気持ちを誤魔化すようにゲームに没頭してみたり、発信者という立場を捨てて、ただただ受け身にまわっている。それってどこかさびしいなあ・・・ と思った。

ホノムラさんとか、yukiさんとか、noon75さんとか・・・ 面白い過去ログが消えてしまった個性派ブロガーさんたちは、自分の渾身の・愛すべき文章たちが消えたあとのネットの世界を見て、一体なにを感じたのだろう。

自分の魂を込めた、愛すべき文章の存在しないネットの世界なんて、まるで荒野のようだ・・・ 私はそう感じながら今を生きている。だから自分のブログにある文章が消えてからはあまりネットで活動しなくなった。もうなにもみたくないんだ、過去の自分の影を見るのも怖いほど、この喪失感に自分が食われてなくなってしまうことを怖れている。

個性派ブロガーさんたちは、過去ログをそのまま闇に葬ってしまったまま、もう一度出すタイミングをそのまま見失ってしまっただけなのか。それともブログに没頭する気力も殺がれるほどリアルの生活に何か新しい変化があったのか。過去に打ち溜めてきた文章は、ネットで活動する上で必要不可欠な自分のステイタスであり、モチベーションを持続する鍵でもある。

以前テレビで宝塚の星組トップスターが「同期は大切」と言っていた。それはブログの世界でもそうだと思う。自分がブログを始めて、そして出会い、トラックバックを飛ばしあい・何度となく言及しあったブロガーたちは、自分にとってのかけがえのない同期なんだと思う。自分が同期だと勝手に思ってるだけで、実は相手のブロガーさんはブログ歴がかなり長かったりもするんだけど、でも自分がブログでの活動に最も比重を置いていた時期にかかわりを持ったブロガーさんたちは皆、同期のように感じられる。ブログの同期は、自分を知っているからという心強さでもあるし、ブログの同期がもし全部消えてなくなってしまったらもう自分には帰る場所はないのだとも感じられる。