heartbreaking.

中年の末路とその記録

冤罪の報道は、実際の被害者たちの心を黒く塗りつぶす

マイケルジャクソンの死は、別に悲しくもなんともないけど、変化の乏しいこの日常に飽いてきた頃には、ちょうどよかった。

ただ、マイケルに性的虐待をされたと次々と訴えをおこした少年達が「金目的ではなかったのか」ということがテレビであらためて伝えられるのは不快でした。

では、世の中の、性的虐待を受けた子供たちが皆、お金目当てだったとでもいいたいのでしょうか・・・ 子供への性的虐待は、その子供の一生をゆがめてしまうことになりかねない一大事です。

実際に性的虐待の被害にあってしまった子供たちまで、嘘だったと、「金目的だった」と貶めるつもりなのでしょうか・・・ テレビで軽々しく発言する人は、その発言がどれだけの被害者の子供たち(かつての、も含む)の心を不安にさせているか、きっと考えが及びもしないのでしょう・・・

冤罪のニュースも嫌いです。実際の加害者たちは「そうだ私も冤罪なんだ」と自分自身の心に暗示をかけてより生きやすくなることでしょう。加害者が自分の犯した罪を本当に反省したならばこの世に生きていられるわけがありません。加害者が生きていられるのは、自分自身の犯した罪を、己の自分勝手な思い込みで美化したり・自分自身を過剰に哀れんだりすることに、おそろしいほど長けているからです。

逆に、実際の被害者たちは、「私の被害も嘘だと思われているのではないだろうか」と、不安定な精神状態にならないとも限らないです。

「金が目当てなんだろう」と、そのような言葉を軽々しく人にぶつけることは、ぶつけられた人間にとって最大の侮辱です。ましてや「金が目当てなんだろう」という言葉を投げつけられた被害者が、本当に被害にあっていた場合、どう詫びるつもりなのでしょうか。

私も、加害者の男の母親に「金が目当てなのね」と悲壮な顔をして言われたので、返す言葉すら見当たりませんでした。所詮、男の子しか持たない母親というのはその程度なんです・・・ 気の強いのは結構なことですが、自分の子供がもしかしたら他人の子供に本当に危害を加えているかもしれないという可能性をうたがってみる「勇気」は必要です・・・ 自分の息子が、他人の子供に危害を加えているかもしれない可能性を考えることの出来ないような母親だとしたならば、では一体誰がその息子を罰することができるのでしょうか・・・

私に将来もし子供ができたとしても、それが女の子なら、絶対に男(男の子も含む)の居るところに預けたりはしないです。人間、どこで魔がさすかわからない。

私が運よく結婚できたからといって、「結婚できる程度の心の傷だから」と、自分の息子が何もしていないと信じようとするかもしれない。被害者は一生不幸なままでないとそれが真実味に欠けるのだろうか・・・ 被害者が幸せになった途端それは嘘ではないかとまた疑われるのだろうか・・・ それでは被害者がいつまでたっても幸せになれない。

結婚して今は平凡に幸せなので、独身で身体的悩みを抱えていた頃ほどは、加害者の一家に対する憎悪はどす黒くない。今は灰色です。ただ、そいつらには、いつか心から反省して、詫びてほしいとは思っています・・・ 結局、被害者が生き続けようと思ったら、加害者の愚かさすら包み込める慈悲の心を自分自身の中で養うしか道はないのです。