heartbreaking.

中年の末路とその記録

情が通ってくる

旦那には「愛してる」と言われたことはないし、結婚するときのプロポーズの言葉も特になかったです。結婚式も挙げてないし、新婚旅行もまだ行ってないです。

ウェディングドレスに対する憧れはまったく無いです。つか自分、似合わないし(自分の姿形が嫌いなのでそんなん見たくもないし、誰かに見せたいとも思わない)。独身時代に結婚式に呼ばれるのが苦痛だったので、結婚式とかほんと無くていいっす。結婚式場なんか全部潰れればいいっす。

あ、私も旦那に「愛してる」と言ったことは一度もありませんし、普段も「好き」の一言すら言ってません。そのような言葉を言える人は、器用なだけか、ただの嘘つきか、よほど愛され慣れているだけです。・・・ずるいというか、そういう人、嫌い。

不器用だから、自分の心の中で確実だと思えない言葉を発することが、どうしてもためらわれるのも理由です。まだ定まっていない不安定なものを自分の中で大事に育てている途中なのかもしれません・・・ これがきちんと定まり、ゆるぎないものになったときに私ははじめて彼に言うでしょう「愛しています」と。

愛してるとか、好きとか・・・、ポエムくらいにしとこう。「好き」くらいは酒に酔ったイキオイでたまにポロリとこぼしてくれてもいいけど、あまり頻繁に言うのはなんだか有り難味がなくなる。

以前、旦那が酔ってるときに、私のケツをパシパシ叩きながら「好きなんですよ」と言ってくれたときは、「嗚呼、本当にそう思ってくれてんだなあ・・・」と感じた。未だにそのときにくれた「好き」の言葉を信じて生きてます(何かつらいことあると、すぐ「死のうかな」とか、その選択肢にまっしぐらな自分なので・・・)。

あれ?なんだ結局やっぱり「好き」って言ってほしいだけなんじゃないか・・・ 人間って単純だね。なにか一つでも縋れる言葉があればそれだけで生きていけるもの、なのかな。でも「愛してる」とかそういう重い言葉はやっぱり今はまだいらないや。いくら結婚したとはいえ、会ってまだ一年も経ってないのに、何がわかってるってんだ・・・

でも人間愛は、日々の生活をともにする中で確実に育まれていってると思います。垢の他人だったものに、だんだん情が通ってきて、他人ではなくなってくることは、言葉上だけではない、本物の「家族」へと近付いてきた証拠かもしれません。

二人で居るのは楽しいことも多いけど、私はほんとは自分のことだけして生きてたい人なので、こんな幸せでも、何かあるごとに全部投げ出して一人に戻りてえなあーと思うこともある。でも今の旦那と離れることを想像しただけで悲しくなるから、そんな考えはずっと想像のままでいい。・・・つかやっぱり単に、体がダルイから死にたくなるだけじゃね?なんでこんなにしんどいのかなあ、運動不足かな?