heartbreaking.

中年の末路とその記録

あきらめから、老いがくる

副業で早朝の仕事を入れるまでは、朝起きてぼーっとした頭で「辛い・・・」と思いつつ台所にむかい、でもこれをやらねば主婦として失格だと自分を戒めつつ朝飯と弁当の仕度をしてました。その「辛い」という気分をひきずったまま仕事に行くので、仕事も「辛い」気分のままで、重い頭と体をなんとか気合で動かしてる感じでした。

毎日、頭が憂鬱に重くて、体が思うように動かないのは、もしかして自分はなにか特別な病気なのではないか、自分は本当に大丈夫なのか・・・ と真剣に悩んだ日もありました。その白黒はっきりつけて、なんでもないなら気のせいだと前に進むしかない・それだけの話ですが・・・ ただ、病院に行く手間と時間が、自分にはとてつもなく大きなものに感じられ・・・ 

自分は病気なんだ、だから大目に見てくれ、と誰にも聞こえはしないのに心の中で弱音を吐いて、そうして、心も体もひきずるように生きていた。結婚したけど実は、中身はなにも変わってない自分、恋愛できなかったことも、性的な虐待を受けていたことも、夜の仕事をして失敗したことも、なにもかもが今の私を苦しめる原因のように思えて、でもどうすることもできない無力な自分を、投げ出してしまいたい日もあった。

苦しいことばかり思い出したり、人を怨んだり、そんな感情から逃れるために、すべてに蓋をして、ただひたすら眠り続けていたけれど、それが原因で体が一日中重くなり、思うように動かない体で仕事をすることはとても辛く、なんでこんなに辛い思いをしながら、借金を返すためだけに、人に異様に気を遣いながら働かねばならないのか・・・ 

そんな風に、寝ても、寝ても・・・ 起きて少しずつ考えることを始めると、長いこと抱えもってきた感情は何一つ解決はせずフリダシに戻っている。いつまでも同じところで堂々巡りをしていることを、もう自分にはどうすることもできないのだと思っていた。思うように動かない体を動かさなければならないことを、苦痛だと感じ始めたら、自然と心も病んでくる。

それが、早起きを実践するまでの私の姿でした(何かの通販のようにガラッと変わりますが・・・)。

私の体が思うように動かないのも、頭が憂鬱なのも、すべては「寝すぎ」が原因だったようです・・・ 

早朝の仕事を入れてから、一日中元気になりました。「しんどい」と言えるうちはまだ本当にしんどい状態ではなくて、それは普段、動かないからしんどいだけで、そのしんどさに慣れれば、それが普通になってくる。

早起きするようになって、便秘もなおりました。朝、自然と便意が出てきてトイレですんなりと出ます(汚い)。あー、それで体が軽いのか。

いままでは、なんでもあきらめて、自分で老いを作っていたような気がします。

歩くこともそうです。

たまの休みはラクしようと思い、かかとの高いヒールではなく、運動靴を履いてイザ歩いてみると・・・ 運動靴を履いてるのに体がおもうように動かないので、旦那に誘われても、一緒に歩くことすら億劫になり、でもまあこんなものか、とあきらめかけていました。

ところが、早起きするようになると、ウォーキングも全然苦じゃないです。運動靴を履いて軽快なタッチで地面の上を歩く自分に気付いたとき、衝撃でした・・・ その勢いのままに走り出してしまうときもあり、さして息も乱れていない自分に感動します。早起きで便秘解消が、ここまで私を変えてしまった。なんだか自分の体に眠る、未知の可能性を信じてみたくなりました。私はまだまだ動ける。