heartbreaking.

中年の末路とその記録

認められたいとがんばるほどに、女としての魅力を失う嫁

夫婦なのに、言動にいちいち気を遣いすぎている。ちょっと冗談を言っただけですぐ黙るような旦那とこの先もずっと暮らしていける自信がない。

結婚しても、想像したほどセックスをしたわけでもなく、夫婦だとどうしても閉鎖的なセックスになりがちで、マンネリ化してきてそのうち意味を無くして、滅多にしなくなる。

そんなに性欲もなくなった私にとっては、夜も別々の部屋で寝るような夫婦生活に、いよいよ女としての自分の寿命が終わるような寂しさも感じている。30年以上生きてきたのに、セックスを楽しめたのは、たった1年と10ヶ月ほどだった(それでも非モテの私としては大躍進だった)。

このまま別々の部屋で寝て、早朝から私が働きに出るような日々が続けば、ますますセックスの回数は減って、二人は男と女ではなく、ただの同居人となる。

一緒に寝ていれば、自然と体は触れ合うので、そういうことにもなりやすい。夫婦として望ましいスタイルは、夫が「行ってきます」と出かける姿を玄関で「いってらっしゃい、気をつけて」と見送る妻であるべき。それが、嫁が早朝から働きに出て「居ない」のでは、夫婦生活がうまくいくわけがない。旦那側としても思うだろう、誰にも見送られず一人で玄関を出るときに、孤独を感じているだろう。

旦那に、嫁ががんばって働いている、と思われるのはいいことだ。でも、悲しいことに、嫁ががんばって働くほどに、旦那としては、嫁に女としての魅力を感じなくなるのかもしれない。尊敬はされるが、それは女とか関係なく、ただ人間として認められるだけの話であり、それが夫婦として上手くいくのと同義ではない。

それぞれが仕事に対して実に勤勉な日々を送ると、向いている方角が違うままだから、明日のために今日は無理をせずに寝るという考え方になる。そんな日々の繰り返しの中では、セックスをする機会も減り、だんだん夫婦本来の意味を失っていく。それが続くと、寂しいときも上手く打ち明けられない壁ができてしまい、その壁を打ち破って相手の懐に飛び込むのは容易ではない。

女としての意味をなくしたままで、ただ女中のように、黙々と弁当を作り、洗濯をし、ゴミを捨てに行くだけの生活なら、むしろ一人で生きたほうがいい。冒険心がなくなってくる。老後の安心を得る目標のためだけに、今を犠牲に生きて、それで本当に老後の安心が掴めるのだろうか、という不安もある。

それは国の問題で、自分が変えられるのは、ただ選挙で一票を投じるしか手段がない。ただ、今一緒に暮らす人とこの先も上手くいく確信があるならば、そういう不安定な老後の安心を買うために、多少この身を削ってでも今をがんばるだろう。がんばれるだろう。