heartbreaking.

中年の末路とその記録

黒い塊は、私の弱い心をつかもうとしている

有名人がバタバタとお亡くなりになっていますが・・・ 人が死にやすい時期だけあって、健康な私もなんだかウツウツとしてます。

死にたい・・・ とか、思うのは別におかしなことではなく、生きていれば、そんなのしょっちゅうです・・・ ささいなことでも死にたくなる、でも、ささいなことでスグ立ち直る、その繰り返しで、私の日常は過ぎてゆく。

結局、どのような状況におかれていても、不満はたえず、我慢することはあります。「死にたい」と思う周期が、一日の中で何度もめぐってくるのは・・・ 今を我慢できない「我侭」なだけじゃない・・・

くつがえすことのできない過去が存在する限り、そして自分の能力の限界に閉ざされた未来を憂うとき、幸せな状況の中でも人は、ふと「死にたい」と思うのだろう。

なにかに頭打ちした状況の中で、自分の中で、グシャリと押しつぶされた心は、永遠の無となる逃走と、すべてを破壊しつくしてしまいたい激情のはざまで、運命の針が大きく左右に揺れている。

もう駄目だ・・・ 机の上に頭を打ち付けてうなだれる。そんなとき、自分が殺人者になる一歩手前を救ってくれたのは、会社の上司のなにげない笑顔や、普段とおりの会話、大切な人からタイミングよく届いた笑えるメール・・・ etc

フフ・・・ 生きていてもいいかな・・・ と思えたなら、また歩きはじめる。

私は、自分すら上手くだまして生きている。だから、生きていられる。

日々、自分の手の届かない場所に・・・ ただ静かに、積み重なっている黒い塊は、私の弱さや、逃げたい心をつかもうとしている、・・・いつでも。

ああ、楽しい・・・ って思ったしばらく後で、「・・・辛い、死にたい」と思う。

たえず揺れ動く不安定な心のままに、未だ見えない、私の思い描く桃源郷にたどりつくために生きているような気分だ。

人は、欲しいものを手に入れても、手に入れても、心が満たされ続けることは永遠にないのだろう。永遠につかめることのない、陽炎のようなものを求めて、この世に魂を置いている。

自分が目にしたもの、触れたものから得る、実感をもっと増やしながら生きていれば、この先に待つものがたとえ「無」でも、意味などなくても、そんな漠然とした不安をおおいつくすほどの「今」の時間で、だますように、自分の命を明日へ転がしていけるだろう・・・

それで、今ある大切な人たちを守ることができるなら、それが、少なくとも「今の私」の生きる意味なのかもしれない。