heartbreaking.

中年の末路とその記録

自分で「終わり」にする勇気…

夫婦仲もよく、特に悩みというほどの悩みもないので、ブログに書くようなこともなくなってきました。

「くっそぉぉぉ… あいつだけは絶対ゆるせねえ…!」といまだに思い返しては「どうにかしてやりたい!」と思うほど腹たつ人間も何人かいますが、でもそれも、夫婦仲さえよければ、「それがすべて!」みたいに怒りでどうにかなってしまいそうな状態にまではならないので…
まあ、やっぱり夫婦仲がよい、ということがなにより大事かなあと。

今、30半ばにして、私の中で一番大きな問題はやはり「この先、子供をもつかどうか」ということです。ほぼ毎日のように考えますが、いまだに答えは出ないです。

自分が本当に子供がほしいのか、それもわかりません。もしかしたらこのまま自由でいたいのかもしれない。ただ明確なことは、子供ができたら、いまより苦しい生活になるということだけです。

50億年後に太陽の終わりと共に地球上のすべてが消え去る運命なら、長いインターバルで考えて、自分の遺伝子があと数十年先に先に絶えてしまったとしても、それ以外の遺伝子もやがては終わる・けして永遠ではないということに、この先、子供を残せないまま自分の命の終わる未来に、ほんの少しの希望が見えてくる。

先に滅び行くものが敗者なのか。自分が最も忌むべき者共には子供がおり・やつらの遺伝子は少なくとも私が死した後も続くのだろう。

だけど自分と直接関わりをもち争った者共と、その者共の生み出した「次の世代」の者共は一緒ではないのだ。

私は、自分と争った者たちと、その者たちの子供たちまでも、同一視している。もし仮に自分に子供ができたなら、自分の子供にまで、この争いを背負わせようとしているのではないか…

自分の命で、永遠に「終わり」にする勇気をもつことが、子供のいない男女や、孤独死する未来に覚悟を決めた独身者たちに、今を生きるチカラを与えてくれる。自分で終わりになってもいいじゃないか…、ほかの誰の遺伝子が、私が死した後も続こうと、私には関係のない話なのだよ……