heartbreaking.

中年の末路とその記録

ゲームに没頭できなくなった自分

いくら値下げされてもプレステ3なんて買えない… 月々のこづかい切り詰めて買うならかまわないが、ローンして娯楽を買うような人間が家庭内にいたらガックリくるし信用できなくなる。そんなこと口に出さない家族だとしても、自分が許せない…

だから既存のゲーム機やソフトで、なんとか休日のヒマをつぶそうとするのですが、いくら好きなロマサガやFFでも、一回以上クリアしたものをもう一度…!となると、もう途方もない作業のように思えて、たいてい序盤であきらめてしまう…
過去の感動を再現してみたい… 今、自分はどう感じるのか。わかりきった結末と、それでも変わらない現実に戻るために、ある程度単調な作業も繰り返すことになる。それが自分に強烈なストップをかけている。

RPGの旧作で名作は、旅にでてバトルするまでの前置きが長すぎる。町の住人に話を聞きまわるのが苦痛だ… それでも学生時代や20代では、そんな作業すらも楽しめたはず。これから旅に出るのだ!というワクワク感がうたがいもなく純粋だったから。そして親の庇護の下に暮らしていた学生時代は特にそれが顕著だった。

学生時代や、まだ社会人かけだしのころは、ゲーム中の未来のみならず、現実の自分にもあらゆる可能性・希望がふくまれていた。さあ、旅にでよう!あらたに降りたつ世界に自分の未来を想像するように、見果てぬ旅の終わりでなにかをつかむために…!
未知の可能性が、ゲームに抱くあらたな期待感と遠い場所でシンクロし、その光が自分を導いてくれていた。

いまは遠い光すら疑いたくなるほど色あせた心の自分がいるだけ。信じてないわけじゃない、だけど疑わずにいられるほど純粋でもない。
現実逃避する時間すら怖れる、ゲームに素直に没頭できなくなった自分にはもう逃げ込める場所などなくなったのだと思い知る。
そんな自分にとって、ゆいいつ、時間をつぶせる場所、それはテレビでも映画でもなく、ネットだった。ネットで情報収集する時間がいまの自分には一番落ち着く…
ネットをするのは、あれが知りたいこれが知りたい、ではなく、ただ納得したいだけなんだ。