heartbreaking.

中年の末路とその記録

衰えゆく星々を、いつまでも見つめる努力は忘れずにいたい…

なんで俺この人のブログ見てるんだろう?って思うほど全然趣味も違うのに、なんだか妙に居心地がいいブログがたまにある。共通点はない、考える方向もてんで違う、だけど奥のほうでは繋がっている。そう信じさせてくれる人は、この心の奥底に小さくもあたたかな火を灯してくれる…

この広いウェブを宇宙と過程するなら、そのあちらこちらで気まぐれに輝く、私が見つめる小さな星たちが、気まぐれに輝くことをやめないように、どんなに姿が変化しても見つめる努力は続けなければ…、自分と歴史を共有した星々と共に、自分がいっとき輝いた歴史まで費えてしまいそうで… それはとても心さびしい。

ブログを見なくても、存在は感じられる、リアルでも時々思い出す… それくらいの存在になったブロガーも何人か存在する。そのほとんどが、おそらく私のことを同じように心の片隅に「入れてくれている」のだ…(気付いているよ) 現に、変化していく私を見つめるあたたかなまなざしを、…感じている。 それは現実世界での友人関係のように疲れることは一片もなく、ただ心地よさに満たされることしかない。

かけがえのないものなんだ…(!)

自分のことを好きだと言ってくれる人を、リアルで顔を見るわけでもなく、ただネットだけの付き合いであるのに、わざわざ嫌いになる人はいないだろう… ブロガー同士で相思相愛になるために必要なものは、…まあ、あまりにもツマラナイ文章しか打てない面白くもない人とは、ネットでは文章で気持ちを伝えるしかない以上は、愛情抱きにくいですけど、そこそこの文章が打てて、そこそこに面白ければ、あとはお互いが感じあう心で相思相愛になってしまうんじゃないかと…

ブログにも若さとか旬な時期があると思うんですよ… ブログを長く続けているうちに次第に考え方も自分の中である一定の法則性を保つようになり、それ以上冒険しなくなったり、…現実の肉体も老いていくのでそれに引きずられるように考え方にも勢いがなくなってきたり…

だから昔の自分の文章を読んで逆に驚いたり考えさせられたりすることが多いんですね。単純に面白かったりしますし…複雑になるにつれ、複雑さを構成する一粒一粒が放つ輝きよりも、結局、単純なものを構成する大きな一粒が放つ輝きのほうが強烈で、人々の目に鮮烈に焼き付くんじゃないか…