heartbreaking.

中年の末路とその記録

嫌われることを覚悟であえて言う勇気と、それを許すのは愛あればこそ・・・

俺が「微妙だな…」と思う話題(ちょうど最近そんなのが多かった) をあげてるのが、たとえば巡回先の(気に入ってる)人だった場合、わざわざ不機嫌な反応する気にならない…

なんでかというと、読む前からその人に好意を抱いて、その心構えから読もうとするので、ある程度のとこまでは寛容になれる…

かなり愛してしまった(死語を使うとゾッコン) ブロガーさんの場合だと、俺が苦手だと思う話題の中からでも、わざわざ意味のありそうな部分を探して読んだりもする。

こういう人物なのだとある程度長く見守る中で大雑把に理解できてくると、この話に関しては今回は何か違和感だなあ(本心とは違うのでは?) とか、俺なりに色々思うところあっても… そんな矛盾すらも許せるようになる。
つまりその人の存在そのものを、心の中に入れているので、もう貴方に関してはよほど外れたことをしない限りは、俺の中では「なにも変わらないよ」という思い。

最近だと、分裂君が女子小学生にカモられた話してたけど、微妙に背景にロリコン臭が漂う文章なので、幼少期に性的な虐待受けた俺からすれば少々ひっかかる部分はあった。ん…?その女子小学生はその前も後も結局大丈夫だったのだろうか?ということが気にかかる。あと(その女子小学生のほうが)早熟すぎるのではないかという嫌悪感。でも、総体的に見て読みものとして素晴らしいものだったこと、そしてαなブロガーがこのような純真な思いを包み隠さず打ち明けたことの価値は極めて高い(これによって分裂君の魅力が増した)。

あとは、べにぢょさんの「あなたのブログが読みたいの。」という記事。俺のブログは打算的なのかもしれない。有名な人ばかりに向かって記事を打つので、こういうのが嫌いだと思う人は俺のブログは全力でスルーするだろう。でも別にそれで構わない。たぶんこれからも、有名な人ばかりに向かって記事を打つと思う(その人が好きな気持ちに偽りがなければいいと思ってる)。

あまり知られていない個人ブログの日記も確かに悪くはないが、そういうのはタマタマ気に入ったときに「気分で」巡回先に加えるものの、どうせ見るのは長続きしない。なぜか飽きるんだ(あ、俺の場合ですけど) やはり大勢に見られてることを意識している人たちは面白いんだよ… 俺の巡回先に個人ブログのただの日記(だけ)なんて数えるほどしかない。タマにでも何かしら意見してる人のほうが飽きなくていい。

なんか偉そうな文章でスンマセンorz