heartbreaking.

中年の末路とその記録

他人の癖・ 他人の不幸に対する対抗心

ため息ひとつで、人を殺すこともできる
私は他人の「癖」を必要以上に気にしてしまうので、集団の中にいるのが毎日辛いです。

引き出しを大きな音で開け閉めする、書類を乱暴に放り投げる、などはどこの職場でも見かけます(私の記憶では年齢関係なくチョット気の強そうな事務の女性に多かった)。これらはわかりやすくて「この人はこういう人だ」と認識して気にしないよう心がけますが…

近頃、私の近くで「重いため息」を落とす人が多いです……

そのたびに私は心臓に錘括りつけられた気分です。昨日も今日も、私の近くで非常に重いため息をつく人がいて、私は心底絶望しましたし、今日は「死にたいな…」と思いました。何でこの人は私の目の前でこんな重いため息を落としたのか… と。

だから、人前で「重いため息」を吐くのはやめましょう… なにか辛いことがあるとしても、それを出すか出さないかは、その人の心がけひとつで決まることです。私は悪意があるとき意外は人前でわざわざ、ため息をついたりしません(つまり、あの人は私に対して悪意があったということなのか……)。

「悩みなさそうでいいな」発言について
AさんがBさんに「お前は(俺に比べれば)気楽でいいよな」「貴方は(私に比べれば)気楽でいいわね」と言う場面に出くわすたびに、想像だけで本人に向かってよく言えるな… と思う。

「あーこいつなんも悩みなさそうでいいな」と見えてしまう人がいたとしても、その人が本当に悩みがないかっていうと、そんなことないです…

無理して「明るい人」や、ちょっと周囲から浮いてる人、…要注意です、その明るさや笑顔は苦しみを乗り越えてきた結果の非常に尊いものかもしれません、すべての明るさや笑顔を軽く見ないでください…

自分のほうが不幸だと思っていたら、聞き手のほうがはるかに不幸で、それを知らずに「いいなあ、お前は気楽で」みたいに言ったとしたら格好悪いです…
「いいなあ、お前は(俺に比べれば)気楽で」「私はこうだったけど、貴方はきっとこうなんでしょうね」のように決め付け口調で直接本人に言う人に出くわすたび、この人は私のことを知りもしないのに何を比較しようとしているのか… と疑問に思う。

「お前は(俺に比べれば)気楽でいいよな」…的な思考は、ただ唯一理解できるのは自分のことだけなのに、なぜか、理解できるはずもない他人のことを勝手に想像した挙句「こいつは、こうだ」と決め付けてしまう、非常に自分勝手な物の考え方なので… どんなにマトモであるように振舞っていても結局、愚かな人です。

そして、そんなものばかり背負わされがちな私は…
他人の不幸に対する「対抗心」から、「つらい」「しんどい」愚痴を聞いても、その程度のことで笑わせるなと心の中で笑って見下すこともあります。性格悪すぎだろ、と自覚しつつ…… でも、その根性の悪さが私の強さ・粘り強さの源でもある。もし私が本当に内面でも「いい人」だとしたら、人の不幸に心を砕きすぎて自分のほうがまいってしまい、いつか精神崩壊しているので、内面まで「いい人」になろうとしなくていい… むしろ、とことんドロドロのグチャグチャに最悪な人でイイと思う(内面は)。だから今は心療内科に通っていない。