heartbreaking.

中年の末路とその記録

無職なりに考えることはある

仕事を辞めて、半月以上経った。その間、仕事を探しているふりをするのだけは上手くなった。職安に行った、求人情報誌をとってきた、面接の日取りを決めた、面接行ってきた…… これを家族に報告することが、今、無職の人間を抱える家庭内の不安をぬぐいさるための非常に大事な仕事なのだ…

でも雨の日は出たくない。求人情報誌を取りに行くのすら嫌だ。だからたった一つの仕事もこなせていない。雨は… 「行かなくていいよ」と言ってくれている。

自分は一体なにができるのか、仕事を持っている頃は考えもしかなった。ずいぶん無為に年月を過ごしてきたのだなあ自分というやつは… もう同年代の人たちはそこそこの年収を稼いでいるだろうに、情けない…

面接にいくつか落ちたことで謙虚になれたと思う… でもその謙虚さを、前の会社に勤めてたときに出していれば良かったのかもしれないが、もう過ぎたことだ。

会社を辞めてから、さんざん眠り続けてようやく疲れがとれたころに、過去の自分の悪かった部分を一人で認める時間が少しずつ増えてくる。終わったことだと片付けるには、あまりにも幼稚すぎた過去の自分の行いを、あの人たちはどんな思いで受け止めていたのだろう…

自分にわずかでも非があると認めることができたなら、その時は不和に終わった人たちにも、いまは頭を下げて挨拶くらいはできるような気がしている。