heartbreaking.

中年の末路とその記録

ブログ論の授業をする先生が一名不在のままです

えっけんさんのメインブログが更新がないまま、今年の秋までこのまま更新なければ丸一年えっけんさんはご自分の好きだったはずのブログ論を打たなかったということになる(知らないところで打ってたらすんません気付きませんでした、だけどぜってぇーいねえよな)。

一年は長い…

メインブログを離れてしまったえっけんさんに個人的に関わる勇気はないので…(いや、もともとそんなに気さくに話せる仲でもなくて、俺が「好きです」って記事を打つから、気にかけてくれただけなので…) ツイッターで細々つぶやいているのを見つけ出して、じゃあ俺もツイッターで話しかけてみるかw とは思わない。子供がウンタラカンタラわめいている俺が、えっけんさんのプライベートな場所にお邪魔して歓迎されるとはとても思えないので。。。お前、なんでここに来た?的な不快感を与えたら俺はもう立ち直れなくなる。俺は空気を読んでいるんだよ…

俺は、えっけんさんがブクマで1ゲットしてくれたり、いろいろ気にかけてくれたことが本当に嬉しくて、それでここまでブログを続けてこれたんだ。最初は、腕をつかんでひっぱり上げてくれる人がいないと、なかなか人に読まれることもなくて大変なので、影響力のある人が、名も知れぬ弱小を見つけて「こいつは埋もれさせておくには惜しい」と掃き溜めの中からひっぱり上げて、そして勿論救い出された弱小の側も自分が面白い記事を打って、人々に飽きられないよう努力をしなければならないし、特別目をかけてくれる恩師の面汚しにならないように、たまには恩師をも心底驚かせるほどのパーフェクトな文章を打たなければならない。俺はえっけんさんにひっぱり上げてもらってからは死ぬほど努力したよ、自分の文章をお情けではなく本当に認めてもらえるように。そして恩師のブログ内で俺の記事を扱っていただくその日を夢見て、ブログ論も考えに考えて打ちまくっていた(「ブログの話」で、いい記事打てた!と思ったら必ずやってきて花丸つけてくれてたんだ)。

今の俺があるのは一重にえっけんさんの長年の愛があったからこそで、ブログの文章を打つときは常に、この感謝の気持ちを忘れたことは一度もないです。