heartbreaking.

中年の末路とその記録

周りは変化するのに自分は変わる気がないなら賃貸を選んでフットワークを軽くしておいたほうがいい

明け方の4時に地震があった。Yahoo!地震情報 履歴一覧をみると結構頻繁に地震が起きている。

不思議なもので、目覚ましの音に気付かず会社に遅刻するような人間が、毎回地震が起きるたびに、危機感と恐怖から一瞬で目が覚める。

地震で目覚めた直後の頭は優柔不断で考えがまとまらない。どの服を着るのか、ここにいてもいいのか、何を持って逃げるのか。物があちこちに散らばりすぎて、それらを全部かき集めて持って逃げるなんてことは到底不可能だ。もっと物を減らして、必要なものを一箇所に集めておかなければ、この決断を下せない頭では、物を持って逃げるどころか自分の命すら守れなくなる…

私は何を持って逃げるのか、そろそろ真剣に考えておかなければならない。最近地震が多すぎる。

建物は地震で倒壊することを考えると、こんなものが固定資産だとは思えない。土地のついた一軒家ならまだしもマンションに何の価値があるというのだ(高い固定資産税を苦労して支払っても、建物が倒れたらそれで終わりじゃないか…)。宝石のほうが簡単に持ち運びできるぶん価値がある。

この地震の多い国で、マンションを買う必要性を感じない(いや、単純に考えるとそうなる)。だからファミリー世帯の多いマンションに高いローンを組み今も払い続けている夫とは考え方が違っている。

自分が支払いたくもないものに、自分の稼ぎを奪われるのは嫌だ。マンションという大きな買い物にお前も協力するのが当たり前だ・そしてマンションのローンこそが何より最優先であるからお前が車を買うことは許さない…という態度の夫に苦々しい想いを抱かされていた。夫婦であるというだけで、片方のエゴに運命共同体として縛られるのはご免だ… たとえそれがその時点では正しい選択だったとしても、だ。

夫と離れて、マンションのローンから解放されたことに安堵しながら、今は安い賃貸アパートで暮らしている。

賃貸は、いつか引っ越す前提での付き合いとなるので、自分の生き方も一箇所に根を張るような確実な生き方ではなくて、根無し草のようにどこへでも転々と移動できるフットワークの軽い生き方に変えていくほうがよい気がしている。この先、一人で生きてくなら尚更そうあるべきだと思う。自分は変わらないのに、周りはどんどん変わってゆく、それに耐えられなくなったならいつでもその場所から逃げ出せるようにしておかなければその場所で窒息死してしまいかねない…

たとえば大きな家具は買い込まないように気をつけている。気分を変えたいときにサッと引っ越しできる程度の荷物しか持たないようにする。だから必要ないものは迷わずどんどん捨てる。極限まで不要なものを切り捨てて自分の身の回りをスリム化することで、自分はどこにだって旅立てるのだという安心感が得られるのだ。家やマンションなんか持っていても邪魔なだけだ。