heartbreaking.

中年の末路とその記録

無差別を装いつつも、明確な根拠のある犯罪

一人暮らしは気楽だけど、自己管理がちゃんとできないと、どんどん欲しいもの買ってお金はあっという間になくなるし、食いたいもの食いまくるから太るしで、注意してくれる人がいないから、自制心との戦いになる。太ったので、相撲取りと同じ原理で、扁平な胸が大きくなってきましたが、胸の谷間を作って写真をブログにアップしたりはしないです。誰も得しないしキモイだけですからね…

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てりたまです。マクドナルドに行きたいと思うときは、ポテトLサイズか、このてりたまか月見しか用がないですから、今行かないといつ行くのですか?皆が花見しているときに、私は家で一人でマクドナルドのハンバーガーとコーヒーを飲む。だけど、こんなのが案外しあわせなのだ…

人に会うと気遣いをしすぎて疲れてしまう私は、こうして一人で過ごす時間の中でようやく本来の私自身を取り戻せる。ということは、会社や、外に出ているときの私は、私ではないということなのか……

貴方が語りかけるのは、私が作り出した「人形」です…

貴方が見ているのは私ではありません。私はもっと深く・遠いところに潜伏しています…

私は貴方からは見えないところにいるのです。

何も語ろうとしない人や、いつも笑っている人の表面だけを見て、すべてを知った気でいるのは危険です。そんな一風変わった人の心の奥には、きっと深い闇が潜んでいるに違いない…… 私はそのことに気付いているのです、なぜならば私も同類だからです。

仕事帰り、暗闇の中を歩いていると、影が二つに分かれているのに気付き、まるで自分そのもののようで、正反対の自分の性格にいつか引きちぎられてしまうのではないかと、心の中で自嘲気味に笑っていた。

つぎはぎだらけの姿でもいい、弱くても、いつでも笑いながら生きてきた自分に「ありがとう」の意味を込めて、休日は美味しいものを食べて満足する… ささやかな幸せを自分の中でどれだけ大きな喜びへと変えられるか、それが一人で暮らす人にとって大事なことなのです…

近頃は、子連れの人たちを見ても、あきらめの心で、やはり心の中で自嘲気味に笑っている。

この心にいくつもの細かな傷をつけて過ぎ去ってゆく人々に、私は何も語ることは許されていない。傷だらけの心で自嘲気味に笑うだけの私は、誰にもこの心の闇を悟られることなくいつでも「普通」であると見せかけるために…、叫びたい気持ちを押し殺して生きてきた。外から与えられる細かな傷と、内部から沸き起こる痛みが繰り返す叫びの、両方を毎日我慢し続けるのなら…、最後にたどり着くのは、痛みも麻痺したように「あきらめる」か、それでもまだどうしようもないのなら、薬でも飲むしか方法がない… 本来、外部から与えられる細かな傷さえ降り積もらなければ、病気にならずに済んだ人まで、薬を飲んで病気のようにならざるを得ない。そんな世の中は… 間違っている。そうだ、皆、優しさが足りないだけなんだ…

戦いを挑むのではなく、ずっと負けを認めるような、そんな人生が、この命が尽きるまで続くのだろうか… それでも、「普通」の人の中に混じりながら、自分も普通のふりをして生きてゆかなければならない… 本当は異質な存在だとしても、上手くだまし続けるしかないのだろう… この降り積もる悲しみが強大な悪魔を構築してゆく…、それが突然を装いこの世にあらわれて、目に見える風景すべてを切り刻む… それが無差別殺人かもしれないし、自分もやがてそうなる可能性は秘めていると思ってる。いや、今後は孤独な人とそうではない人の二極化がより明確になり、そうした無差別を装いつつも、実は長年蓄積した明確な根拠のある犯罪が増えてくる気がしている。

せっかくの土日休みは、部屋の掃除で終わりました。今はもう、月曜日ですね。部屋中の配線をスッキリとさせることで、クイックルワイパーでの床掃除がらくになります。絨毯は捨てました、これでコロコロのスペアを買う必要がなくなり、クイックルワイパー一本で家中のすべてが綺麗になるのです。絨毯を敷かない部屋!これこそが、部屋を美しく保つための究極系です。
部屋を綺麗にする理由の一つは、仕事に気疲れして帰ってきた自分を癒すため… 床の輝く美しい部屋でソファに座りコーヒーを飲む。それがすべてで、自分の宇宙になる。 …なんて格好つけてみましたが、朝起きて会社に行けるかどうかあまり自信はないです。