heartbreaking.

中年の末路とその記録

過去の自分が残したものの中に生きるための答えがある

仕事に不慣れなころは陥りがちな、暗闇の中に頭突っ込んでいましたが、杞憂に過ぎなかったのか… 大丈夫になってきました。

昔の自分の悩みをいまいちど見つめなおすことで、なんらかのヒントが得られるのではないか… と考えたので、引き出しの奥に仕舞っていた昔の手帳をいくつか出してみました。

手術をする前後に当時の出来事を詳細に書き綴った手帳があるので、そんなのを眺めていると… 嗚呼、過去の自分、すごい悩んでる、この字を書いたのは自分だけど自分じゃないようだ。

昔の自分の手書きの字を見る機会ありますか。とてつもなく深いです。まるで、生きたまま、字が語りかけてくる。両腕のあたりがゾワゾワした。まさに昔の自分とこの上ない一体感を得る…

うむ、手帳を眺めていると、当時は自分の体に起こるかもしれない問題について相当熱心に調べようとしている。字が余裕がない。迷走している心がそのまま字に顕れているのは、今の自分が見ると大変興味深い… で、手帳にはさまざまな不安が山のように書きこまれているんだが、当時診てもらった医師がナゼか突然「退職しました」と受付の女性に言われて、…え?あの医師の言ったことを信用したままで、この体は大丈夫なの?どうしたらいいの?って不安の中でひとりもがいてた。何か、いつも吐きそうだった。美容整形の医師はよくわからん間にいなくなる…

手術までの間に、千羽鶴を折って何度も寺に通い、いつもいつも手をあわせ続けた。どうかどうか、手術が成功しますように。そして、結婚できますように。

どうかどうか…
よろしくお願いします

いるのか・いないのかわからないような神仏に、ひたすら真摯に祈ることしかできなかった。

どうしていつも忘れてしまうのだろう… 手術が成功した直後に、ベッドの上で目が覚めて、すべてに感謝したあの気持ちを。どんなにつらいことがあったとしても、あの日の感謝の気持ちの上にいまの生活があるということを忘れなければよいのだ…(ま、私の場合、美容整形で、病気ではないのでアレなんですが、、、)

自分の歩いてきた道のりの尊さを、考える必要はあると思う。

ひとつひとつ思い出すと、結構いろんなことを一個一個、片付けているし、乗り越えてきたのだなあ、なんてことに改めて気付く。

けれど人間はよくばりだから、何かを得ても、それだけでは納得できない。新しく欲しくなったものを得たいと思う。そんな欲望が次から次へと終わり無く・たたみかけるように沸き起こる…

欲しいもの全部手に入らない人生もある。たとえば子供がいない人は、いないなりに生きてゆくことは、できる。

何かを得られなかった悲しみや怒りも老いに飲み込まれ、過去のそれについて自分ですら正確には語れなくなる。自分にはそうした悲しいことがあったという事実は認識できるのに、それを誰かに伝えるチカラは徐々に失ってゆく。

けれど傷つけられた者には、傷つけられた者なりの人生が待ち受けていて、それは普通より困難であっても、そんな数奇な人生でなければ到底感じ得なかった独自の感覚により、人とは一風変わった生き方ができているのかもしれない。

普通であるならば気付けなかった人の心の痛みまでも考えられる人になれたなら、あなたは痛みとひきかえに人とは違う特殊な能力を与えられた命ということになる。

もう一度、考えてみたい…… 自分が何を失った代償に、何を得たのかということを…
もし、失ったものよりも、得たもののほうに今は価値を感じられたならば……、それが、生きる意味に変わるかもしれません。