heartbreaking.

中年の末路とその記録

俺がいつのまにか右寄りになっていた理由について、今日まで特に考えたことはなかった。

俺のブログは嫌韓ブログではないし、政治には詳しくないので、そういうのはほどほどにしないとな… 俺はかなり右寄りになっている。
最初は韓国に対して偏見などなかったし、2004年にNHK総合で冬ソナが流行りだした頃は「何事か?」と思うほどまわりがざわざわ騒ぎ出したので物珍しさで俺も一応観てた。ラストのシーンはなかなか感動した… 日本人が惹かれるのはそうした日本のドラマにない純粋さ(もしくは女が好きそうなドロドログチャグチャした「嫉妬」の表現…)なんだろうけど、それだけのことなら特に気にしなかった。ちなみに昔はクォンサンウがちょこっとだけ好きでした(秘密だよ)。

韓国産のラグナロクオンラインというネットゲームにもハマっていたので… 韓国人に日本が嫌われてしまったらラグナロクが出来なくなるから困るとすら考えていた。

俺が徐々に右寄りになっていたのは、本人も気付かぬうちの出来事だった。知らぬまに俺の中で進行していた。主にニュースサイトの影響なんだろうか…
いつのまにか個人単位ではなく、集団で物事を考えるように変化していった。韓国人が俺個人に対して直接悪いことをしてくるわけではないのだが、だけどネットにつないでいる限り、俺の観測範囲(特にニュースサイト)ではどうしても右寄りな意見を目にする機会が多すぎるので、俺はどうやったって右寄りになってしまうしかない。右寄りな意見に迎合するほうが楽しめるからだ。

実際のところ、戦争は自分が体験したわけではないので、それについて語るのは迷う。それが正しいのかどうかすらわからないからだ。だから一番賢いのは、あえて何も語らないことかもしれない。
俺自身、政治についてわかりもしないのに文章にしてしまうときは、いつも不安を感じている。

政治などまったくわからなくても、生きてはゆけるので、政治がわからないことに劣等感を抱く必要もないと思う。そういう話は、背景を読み取ることのできる見識者に任せておけばよいのかもしれない。

古舘伊知郎の報道ステーションなどのようにあきらかにおかしいなと感じても、それでも「そういうものなのか」とそこは受け入れて、メディアに騙されたままでいたほうが、政治に詳しくもない一般人たちは余計なストレスを感じなくて済むのかもしれない(おそらく、地上波しか見ないお父さんお母さん・おじいちゃんおばあちゃんたちは、特に反感を持たずに見ているはず)。韓国の人は過去に日本人に苦しめられたのだから怒るのは当然なのだろう… のように素直に受け入れておけば、余計なストレスも感じなくて済むのかもしれない。

なんでそこで、戦争時代に生きたわけでもないのに、日本人は間違っていないのだ!という前提のもとで批判ができるような人間に変わってしまったのだろう……

だって俺は、(戦争を)何も見ていない。

ヘタにネットで余計な知識を得るから、反感を持ち、メディアを批判しはじめたのかもしれない。そもそも真実が何なのか、どんなに調べてもわからない。俺は有名な方々のどの意見が本当に正しいことを言っているのかすらわからない。池上彰のように賢いからといってその人が必ずしも正しいことを言っているとは限らない。賢いからこそ、人とは違った特殊な思想を持ってしまっているかもしれないが、池上彰がなんだかヘンだってこともネットの右寄りな意見がなければ俺は気付かずに済んだ。俺はネットの右寄りな人がいなくては、政治の善悪すら見極めることが困難なところまできているらしい…

俺は、政治以外のことに関しては自分ってものを持っているが、政治に関してはまったく自分ってものがない、ただネットで得た右寄りな意見に迎合したままで、あとは自分なりの正義感を盾に、韓国の漠然としたイメージに斬りつけているだけで、それが真実なのか、それとも右寄りな人々によって映し出された偽りなのかすら、わからないのだ。
ただ、そうした批判をしている自分が、格好いいのではなく、なんだか…… とても醜いのではないかと思った。