heartbreaking.

中年の末路とその記録

古い雑誌は、その中の広告なども含めて当時の情報がぎっしりと詰まっている宝の山だ

右か左か真ん中か、などの政治の話はやめてゲームの話でもしましょうかね…もうオメーのあやふやな政治の話はつまんねーんだよという突っ込みを察知しました(右寄り=ちんちんの話じゃないのに多くの人を勘違いさせてしまったようですが久々に俺にしては……、へへっ燃えたろ?状態でした。でもずっとコンボを続けるのは不可能でした)

古い雑誌は、その中の広告なども含めて当時の情報がぎっしりと詰まっている宝の山なのです。(ほほう、当時はこの機種がこんな価格で売られておったのか!という具合に) 家が広くて保管する場所が確保できるなら捨てないほうが良い…

雑誌はさまざまあれど、俺にとっては特に「過去のゲーム雑誌」こそが、あなどれない… 当時購入していたゲーム雑誌をなんで捨てたかなあと激しく後悔(どうでもいいが当時の雑誌の読者投稿ページによく葉書にイラスト描いて送ってたもんだ。3回くらい掲載されたことがある)。

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さて、俺にとって一番記憶に焼きついたゲーム機はPCエンジンDUO-Rだった(パソゲー時代からゲームマニアだった方にはそれでもまだ新参者である)。当時の名作について特集していたゲーム雑誌「ユーゲーNo.06 (2003年 キルタイムコミュニケーション発行)」から部分引用しつつ駆け足で当時を振り返る(俺にとっては神号だった…)。

80年代後半、任天堂の一強状態の時代に、NECハドソンの2社が協力し「PCエンジン(初代白エンジン) 発売日1987.10.30 定価24,800円」を完成させた。ファミコンでは実現できない圧倒的グラフィックとゲーム性の「R-TIPE」「R-TYPE」の発売で広く認識されるようになる。(修正しました。zapa兄さんありがとうございます)

このPCエンジンには、「コア構想」なるものがあった。PCE本体をコア(核)とし、それに周辺機器を接続し拡張していく思想である。(当時の雑誌では、こうした拡張のための、冗談みたいに高価な機器が広告されていたのである)

翌年、PCE本体のコアに接続するための、家庭用ゲーム機初の「CD-ROM」を採用した「CD-ROM2 SYSTEM(通称:ロムロム)」を1988.12.04 定価57,800円で発売した。プレステ4より高いんだが、これはあくまで接続するCDロムドライブだけの価格なので、コア(核)となるPCエンジンの定価24,800円と合わせると、なんと合計82,600円なのである…
今では当たり前に使われている、円盤状のCDをまわすための機械だが、この時代では当然だがDVDなどはなくビデオテープだったのだから、ゲームにCDを使うということの物珍しさがわかると思う。

ゲームをCD-ROM媒体で表現するという「世界初」の発想をし、それを実現させたのは、NECとハドソンの2社であることを忘れていたんだが… この2社が今では「ゲーム業界においては」影がなくなってしまっている。NECは通信業務で今も健在のようだが、ハドソン(CMのあの「バ~イ、ハドソン♪」でハチのマーク」)は「かつて存在した」北海道発祥のゲームソフト会社という記憶だけを残して僕らの前から消えてしまった……

僕らはもうあのハドソンには会えないけれど、だけど忘れない…

単語記事: PCエンジン ~ニコニコ大百科
ハドソン ~Wikipedia

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ハドソンの社章「ハチ助」の由来についてはこちら(日々是遊戯:ハドソンのマークはなぜ「ハチ助」なの? トリビアで振り返るハドソンの歩み)

さて、センチメンタルになってしまうのはここまでにしよう。PCエンジンの話に戻るが、CD-ROM媒体の表現力を活かして、まず「天外魔境」が、そのあと「イースⅠ・Ⅱ」が発売され「キャラクターがしゃべる演出」が当時の個性的な声優さんたちの熱演も加わり、大変魅力的でした。

やがて、CD-ROM媒体でゲームを表現するということが多くに受け入れられた頃には、メガドライブやスーパーファミコンといった16ビット機がライバルとして登場した。PCEは8ビットしかないが画像処理能力が高いため「発色数と描画反応速度」で弱点をカバーしていた。人とは同じでなくていい、という風なマニアックな方々に人気を博していたに違いない。
そして初のCD一体型マシン「DUO」でメモリ不足の問題を補い、そのことでパソコンからの移植作品はより表現を豊かにし、正統派RPG以外にも、キャラゲーやギャルゲーで確立した魅力を放った。

この当時のPCエンジンのCD-ROMゲームが面白かったのには理由がある。パソコンゲームですでに人気を博していた王道RPGを移植したものに、CD-ROM媒体ならではの表現力を加えたので、まず面白くないはずがない。ドラゴンハーフの人気マンガもすごろくゲーム化したり、絵師のうるし原智志さんのキャラデザを活かしたラングリッサーも後に登場し、さらに最盛期には「ときめきメモリアル」も移植された。夢は尽きることはなく、PCエンジンはずっと続いてゆくのかと思っていた。

だけど、やがて、スーファミのバハムートラグーンあたりの良質ゲームがあまり脚光を浴びることなくゲーム機器の変遷期の渦に飲み込まれていった後、彗星のように登場したプレステとファイナルファンタジー7によって、完全にPCエンジンの時代は終了した。

思えば、ファミコンからスタートして、さまざまなゲーム機器の移り変わりをリアルタイムで見られたことはとてもラッキーだったと思う。映像技術においては、もうこれ以上の進化があるとしても、人間の視力ではさほど違いは識別できないのではないかと思う。
だからこそ、今一度、過去のゲームに目を向けて、時々は押入れから引っ張り出して実機で遊んでみる。そんな時間が、今のつまらない生き方にほんの少しだけ、生きる意味を教えてくれるかもしれない。