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heartbreaking.

旧URL http://kuroihikari.hatenablog.com/

 

子持ちの既婚女性がモテに拘ったり喜んだりしているブログが何故か人気のようで世も末だなと感じている/中年女が皆、性に餓えていると誤解している男が案外多い

今日は茨城県の鬼怒川が、大雨による堤防の決壊で氾濫し多くの家屋が泥水で浸水している。救助された方々の中に、犬を抱えた人々がいた。犬は少しソワソワした様子で従順に飼い主に寄り添っていた。家々は玩具のように流されてゆく。私はそれをテレビでただ見ているだけで彼らに何もすることはできない…

なぜ、このように毎回記事の冒頭で本題とは関係のないことを入れるのかというと、それは後で私が読みなおしたときに当時の自分の状況を容易に思い浮かべることが出来るからだ。暗号のようなものだ。

はてな女子の某スレで2ちゃんねらに特に人気の、モテに拘る某女性ブロガーの話
私にとってまさにどうでもいい話とは何か。それはモテるかどうかという話と、ブランド品の話だ。はっきりいって興味がない。
人は誰もが単純に努力をしたからといって必ずしもモテになれるわけではない。その原因は単に見た目の美醜にとどまらず、子供時代から形成された性格にまで及ぶ。モテるかどうかという次元の低い問題を陽気に受け入れることが困難な精神状態の人もいるということなのだ。だが、モテるかどうかということを意識しないで生きている人たちのほうが、きっと心は高尚なところに置かれている。

モテたいと思う心の裏側には、自分以外の同類を押しのけてなんとか自分だけが目立ちたいという自分勝手な意思が働いているような気がする。

実際モテているのは周囲を押しのけて目立っている一人か二人だけなのだ、そのことは職場でも良くわかる。モテている一人か二人を除いては、すべては風景の一部へと変わってしまう。

モテるために努力をすれば皆が同時に幸せになれる… ということはまず無いということを身をもって感じながら生きてきた。輝く人がいる影には、必ずそうではない人がいるということなのだ。モテることに拘りをもつということは、つまり、そうした明暗をつけることを容認しているという意味を持つ。

それはコンパニオンのバイトに行ったときも感じていた。完璧な容姿を持つ人がその空間内に同時に存在している限り、圧倒され、自分はけして輝くことなどないのだと思い知らされる。自信を失うばかりではなく、自分の存在意義すらも問いたくなる。心も姿も影へと溶け込んでいった。 風俗で働いたときもそうだった、完璧な容姿を持つ人が周知の事実として存在する限り、自分はあくまでその代用品か引き立て役にしかならない。泣き笑いの状況下であっても周囲の人には「○○さんは綺麗だよね」と明白な答えを求められる。だから「○○さんは綺麗ですね」と言いながら完全に心は折れる。戦いを挑む以前に降伏の旗をふっている心境だと言えばお分かりいただけるだろうか…… どこに行こうとも、生まれもった顔の美醜や身体の充実度によって、モテるかどうかに拘る以前の問題ですでに仕分けられている。

中身も含めてのモテだ、などという綺麗ごとならやめてくれないか。モテることに拘ることは、人間の価値をその中身ではなく、外面および他者から与えられる評価のみで不当に選別しようとする悪魔の所業であるように感じられる。

このような、人の存在意義を無くさせるような行為にばかり意識を傾ける人の言葉など私の心には何一つ響いてはこない。

私は過去に何度も、モテる女性たちに傷付けられ、生きてきた経緯がある。それについて書いた過去ログもある。

2chの某スレを見ているのだが、話題の既婚女性はモテるかどうかに固執しているようなので 「合わない」 と感じている。だから一度も近付いたことはない。

上記のスレから派生して単独スレとなった「蜜の国」は何故そんなに騒がれているのだろうかと常々疑問に思いつつ見ている。

こうして、話題の外側から見ていると色々気付くことがある。その話題になっている人の文章は一行も読んだことすらないのだが、2chの住人たちの意見から、その人物像はなんとなく出来上がってくる。それが本当でも嘘でも、もうそれ以上を必要とはしていないのだ。 既婚者であるのに(子供がいるというのに)、それでもまだ自分がモテることに拘り続けている、かなり「変わった女性」なのだという情報だけ得ている。

だからまず、避けることを優先してしまう。流石にフィルタリングしようとまでは思わないが…
スレで話題になるような人物というのは、気分の悪く感じるような人しかいないのだ。マトモであったり、気分の良い人はまずあのスレに名があがることなどないのだ。自分の名があがらないことに疑問を持つ人たちがもしいるとしたなら、何も悲しむ必要などないのだ、とお伝えしておく。

モテに拘る女性なら、ブランド品にも興味はあるのだろう。私はブランド品なんて40年近く生きてきてこのかた一度も買ったことがないし、買われたこともない。だからといって自分が女としてぞんざいに扱われているとかいちいち傷ついたりはしなかった。

今はてな界隈で人気の主婦ならば、私のようにブランド品の一つも男に買ってはもらえない女を 「ぞんざいに、いい加減に扱われている、それはレディとしての嗜みが欠けているから」 と嘲り笑うのかもしれない。

だが覚えておいてほしい、女が皆ブランド好きってわけじゃないことを。そしてブランド品にばかり夢中になる人たちを無感情に見つめている人間がいるということを。

自分をどうこうするのはもう限界がある。そしてどんなに素敵なブランド品を手に入れても、似合わなければ豚に真珠なのだ。

モテの話はここまでにしよう。私は離婚して、すべてを放棄してしまってから「男女の性愛」をしっかりと見つめなおしてみると…… それは、痛みや快楽や涙によってすべてが誤魔化されているまがい物であったかのような気すらしている。

あんなに好きだと言って結婚した二人が最後は別れてしまうのだから、現実に得られる結婚や子供などの目に見えやすい幸せに一体どれほどの価値があるのかと、あらためて問い直したい気分だ。

こういった感情は離婚を経験した者にしかわからない。だから結婚したままの状態で愛だのモテだのと人に高説垂れるのは、まだ少し気が早いように思う。

捨てられることで、愛の意味をはじめて客観的に考えることができる。

まだ愛の最中にあり、誰かの庇護の下に生きているうちはわからない。

シングルマザーが、そうではない主婦を心の中で見下すことと同じなのだ、すべては失ってみないと本当にはわからないことなのだ。だからシングルマザーの言うことは、一理あることも多いのだろうと思う。

自分が選んだ家族とまだ共に過ごすことができているのなら、そのまがい物の幸せの中でずっと誤魔化されたまま生きて、あなたは幸せだと感じ続ければ良い。ただ、その環境下でモテや恋愛について、まるですべてを知ったかのように他人に高説垂れるのはまだ早いということにあなたは気付いていない。

一文も読んでいない蜜の国という人について漠然と思考を巡らしているうちにこのような文章が出来てしまったのだが、それに関連して以下のような文章もスレ内に見つけた。最初は蜜の国という人がこの文章を打ったのかと勘違いして憤慨していたのだが、どうやら別人らしい。

ぶっちゃけて言えば女の賞味期限は20代限りと思っています。30代は辛うじて在庫一掃叩き売りワゴンセール品。40代は辛うじてリサイクル可能な廃棄物。50代以降はマニア向け腐乱物。
一方で男の現役は10代~50代までと幅広い。つまり昨今の女にあぶれた男たちが増えている現象も現役の女が希少であるが故に女不足が生じているせいなのですね。
近年の熟女ブームは中年女の価値が上昇したからではありません。新古女の数が足りずに廃棄物のリサイクル利用が増えただけに過ぎないのです。アラサー後半やアラフォーの女たちは自分に牝の価値があると勘違いしてはなりません。その勘違いを改めない限り高齢の結婚難民女は今後も増える一方です。
高齢ゾーンに達した女は身の程を弁え有難く男に手をつけて戴く腰の低さと感謝の念を持てば売れ残りから脱することも可能です。
男は結婚しても女をナンパしたい生き物。そんな男たちに拾われ牝の悦びを与えられる女が一人でも増えることを願って止みません。
ナンパしたい男とモテたい女

この大変腹立たしく不愉快な文章を打った人物は既婚の子持ち男性であるが、何故、高齢の独り身の女性たちが、そこまで男たちにおうかがいたてて生きなければならないのか、そのあまりにも自分勝手すぎる思考に驚きを隠せないのだが案外これが現実なのだろうか… 自らの美文に酔っぱらっているから善悪の判別もつかなくなってしまった哀れな子羊である。危機感がないのだろう。だから何もない女性全般を指してこのような文章を打てるのだ。そんな残酷すぎる芸術性など必要ない。

私のような中年女は生きてる間中、性についてばかり考えているわけではない。

このようなくだらない思考に囚われながら、ネットに悪文を垂れ流している人間がいるのだな…… と思うと、もうリアルでも何も信用はできなくなる。

リアルにいる既婚男性たちは、わざわざ言葉にはしないが皆こんなことを考えているのだろうかと疑いたくなるのだ。まず、その目の中にそのような悪意がないのかどうかを疑いたくなる。勿論、そうではないという男性もいるだろうが、こんな文章を見せられては何も信じられなくなってしまうのだ。よくスレで言われることであるが、こいつの文章は主語がでかすぎるので、本来傷つける必要もなかった人たちの心まで追い込んでいる(自戒も込めてであるが…)。

こっちは枯れているので、むやみに他人に性愛を求めるようなことはしない。

私も最近では気をつけているのだが、そんな文章打っても誰も救えないのに何故あえてそれを打つの…? と思うものはなるべく打たないようにしようと気をつけている。

不愉快な意見をフィルタリングするかどうかについて
結局のところ、嫌なはてなブロガーがいてもそれを完全に目の前から消したからといって、はてなブログの未来は明るくはならない。嫌なやつも含めて皆が相対的に上がってゆくような状態こそが、大局を見つめればブログサービスの延命へとつながるのだ。今後、気に入らない人間を見なくて済むフィルタリング開発がより充実するとか、そういうことがあれば結局は遠い未来の衰退化へとつながる序章になるだろう。

なぜならば人は生きている間に、如何様にも考え方は変化してゆくし、環境だって変わってゆく。

なのに今そいつが気に入らないという理由でもうこの先一生見ないことにしてしまうのは、自分の変化にストップをかけることにならないともかぎらない。だから私は蜜の国も含めて誰一人としてフィルタリングはしていない。そして私をフィルタリングしている人がいるとしたならば、是非はずしていただきたいと思っている(笑)。

※追記です。一部、私情が混じりすぎて意見が破綻していることに後で気付いたのでこのエントリーは微妙ですね。私も主語が大きくなってしまいましたが普段関わっている人を非難しているわけではないです(私も人に偉そう言えた立場ではないので…)。

蜜の国

「性別不詳の知らないブロガーから突然絡まれました」/哲学3部作(2015-09-11)