heartbreaking.

中年の末路とその記録

風俗で抱かれた男たちの記憶と友の刃に切り刻まれる幻想

部屋の入口で靴を脱ぐより早く「チェンジ」という言葉が飛んでくる。窓を背にした無表情の男からお札を何枚か受け取り部屋を出る。心など関係ない世界はとても冷たくて悲しくて、だけどそこには真実しかなくて嘘がなかった。

ある男は怯えた様子だった。ベッドの上に身を乗り上げたまま蜘蛛のように窓づたいにじわじわと奇妙に移動しながらこう言った。「目を閉じて。絶対に目を開けたら駄目だ」私は目を閉じた。静かに近付いてくる気配を感じる。床の上で膝を付くと処刑台の前で死を待つ気分だった。満足させねば殺されるかもしれない… 男は男性器に異常がありすべてを怖れ絶望した中で風俗嬢を呼ぶしかなかったのだ。口の中にあきらかに異常なかたちをしたそれを含みながらこのまま頭上から振り下ろされる気配がくればここで自分は死ぬのだと覚悟した気持ちは忘れられない。勿論何事もなかったのだが私はこのことから風俗は命がけの仕事でもあるのだということを知った。

それ以上を求めない男もいた。ただ、傍に寄り添うだけで良いという。男性器を擦り続けるとずっと「ありがとう」を繰り返してくれた。これだけではなく別のこともしましょうかと問うと「いや、それはいい」と断られたので私はひたすら同じ動作を続けた。最後に「ありがとう…」と笑顔をくれたまま糸の切れた人形のように動かなくなってしまった。大丈夫なのだろうかと心配になったのだが時間が来たので立ち上がり男を振り返ると薄闇の中で男の流す涙が輝いて見えた。奥さんと何かあったのだろうか問うことなどできないまま部屋を後にしたが今でも忘れることができない。

酒を用意して待っている男もいた。これではどちらが客なのかわからない。すっかり夢見心地になっていた。その後のことはまるで桃源郷の中で戯れる天女と天帝のようにこの記憶の天井画のように色褪せた今を笑っている。

夢を語る男が多かった。夢を語るときはどの男も男らしさを漂わせた。私はその背中に寄り添いながら頷いた。村上春樹の本を持ち込んだ男はまるで本当の恋人のようにこの身を抱きしめたままでずっと私の耳元に優しい言葉をささやいてくれた。のちに別の男と結婚した私だが風俗で特に自分に優しくしてくれた男たちのことは忘れることはできないでいる。この記憶を消すことなど不可能だ、これが風俗経験のある嫁をもらう欠点なのだろうな。

迎えの車を待つ間、ラブホの駐車場の隅でずっと泣いている女がいた。なにか酷いことをされたのだろうか… どうすることもできなくて、その女の泣き声が風俗の記憶の一部に組み込まれている。車に乗り込むと窓の外に映る風景は不健全な精神を抱きしめるでも包み込むでもなくただ流れていった。

― ― ―

風俗で勤める私はまず「センスの悪さ」を指摘された。化粧もヘタクソ、ファッションもダサイ。これでは客が付かないだろうということで、その道に詳しい人を紹介してもらった。(以降、Lとする)

私はLと個人的に連絡をとりあい休日に街へ服を見に行くことになった。

Lは吊るされた服を掻き分けながら店の中を颯爽とアーティストのように回遊していった。男がグッとくる服を見つけ出す目は鋭く、まるでバーゲンセールのようにこの腕の中に次々と服が積み上げられていった。

服は自分が見て選ぶよりもセンスのある人を連れていって選んでもらうほうがいい。

試着室で身に着けるとすべて的確に似合っていた。Lはおそらくモテることに関してすごい眼力の持ち主だった。嗚呼なるほど…… どんなイモコロみたいな素材であっても、その素材を輝かすために何が必要かを見極める目を持ったプロにかかれば、如何様にも変われるのだな… 芸能人もそうして輝くのだろう。

Lと街へ繰り出しプリクラを撮った。美人と並ぶと自分の平凡さが痛々しいほどによくわかる。なんでこんな見た目に生まれてしまったのだろうと神でも親でもなくただ自分というものを呪った。

どういうわけかLは私とおそろいの服を買いたがっていた(美人にありがちな傾向)。それは全力で遠慮した。美人なLと同じ服を着て街を歩く… 悪気はないのはわかっていたんだが傷つけないように断ることで精一杯だった。

その後色々あって私はLと関係が決裂した。私にだけ悩みを打ち明けるLの重いメールを見た瞬間、切り捨てようとした。あの時は私も余裕がなかった。だから優しさを持てずに冷たく突き放すようなことをした。それがどんな孤独にLを落としてしまったのかなんてことは、当時のいっぱいいっぱいの状態の自分には想像もつかなかった。

私はLに手取り足取り世話になっておきながら、それなのにLの悩み一つも聞いてあげられずに、無理だから一人で何とかしてほしい… のような冷たい言葉を浴びせてしまったのだ。

私はおそらく気付かぬ間にLの復讐の刃によってこの身を切り刻まれていた。

あきらかにおかしい客がいた。そしてその客を相手した後でLは不可解な発言をしていた。紹介してあげたから、のようなことを言っていた。いや、私の罪悪感が作り出した幻聴だったのだろうか…

悩みを一切聞き入れなかったことにより、Lは私の前から姿を消していた。

そのあとLがどうなったのかは知らない。もしいつかどこかで会うことがあるのなら私はLの悩みを聞いてあげられなかったことについて今でも謝りたいと思っている。