heartbreaking.

中年の末路とその記録

貧困層に手を差し伸べる人が偽善者じゃない、と理解した日

ここで、仕事をしているかどうかを、言いたくなかったけど、実は働いていない。先月、就職先は決まりかけてたけど、無理だと思って引きこもっていた。怖くて、朝、体が動かなくなっていた。

俺は社会不適合者で、世の中に出ちゃいけない部類の人間だと思った。だから自分を閉じ込めようとした。

明かりを消した暗い部屋の中で、すべてを投げ出して、ひたすらゲームをしていた。敵を殴り殺しても、引きこもり続ける自分が今後どうなるのかという恐怖は消えなくて……だんだん手に負えなくなるほど気味が悪くなってくる自分が、追いかけてきて、眠りにつく前に囁きかけてくる「お前はもうこのままで何も変わらない」と。

たまに外に出れば平均感覚がおかしい。風景がグラグラと揺れていた。スーパーの店員すらも、俺を疑っているように思えた。

一応世の中の動向を知っておかないと、社会に取り残されてしまう。だから起きてる時間はニュースやドキュメント番組を垂れ流している。

慈善活動の知らせが、社会の輪から完全に離れた自分のことを嘲笑っているかのようで、不快だった。

Facebook創業者が、子供が産まれたのを機に寄付することにしたというニュースがいまだに海外では報じられている。それは節税対策に過ぎないという批判と、使途を自分で明確にしたいのだろう、という肯定に分かれている。

ナショジオでは「アンダーカバーエンジェル」というドキュメント番組が盛んに宣伝されている。内容は、大富豪が自分の身分を隠して、貧困層を救う、というもの。

過酷な労働を強いられる海外の子供たちや、飢餓の子供たちの姿を映し出し、- 彼らには残された時間がありません - ……という、暗い宣伝も尽きることはない。

これらを見たとき、俺は、今までは、舌打ちしたい気分で「糞っ、この……偽善者が!」と口汚く罵ってきた。Facebook創業者の子供の誕生に伴う寄付はいわずもがな不快だった。そんなの……思っていても、お金がなけりゃ出来ないことじゃないか。
アンダーカバーエンジェルは、大富豪がわざわざ身分を隠して、偽善ぶって、その貧困者たちにとっての神にでもなるつもりか!…とイライラした。
ごみの山の中で汚い労働を強いられる子供たち、今にも死にそうな虚ろな目で枯れ枝のような体を横たえる子供たちを見るたびに、どうすりゃいいんだよ!俺だって余裕ねえのに!俺にどうしろっつってんだよ!!!…と激怒していた。

だけど、それらに対する怒りの発生源は、本当は自分も誰かに救われたいのに!とおもう気持ちの裏返しだった。俺だって誰かに救われたいと思っている。何で誰も、気付いてくれないんだ、俺が何もしなくても、気付いてほしいのに……

でも、そんな自分も、誰にも救われずに生きてきたわけじゃない。ただ、そのことを忘れようとしていた。

potexさんに去年借りた10万円を、まだ返していない。「あげたから返さなくてもいい」と言ってくれたけど、俺はいつか返すと何度も繰り返し伝えた。いつか返さなければならないと繰り返すほどに、自分が追い詰められていった。
そのあと連絡取れなくなって、だからもう10万円は返さなくていいと心の中で安堵している自分がいた。

身のまわりの人には借りてほしくない。借りる方は友達だけを失うけども、貸している方は友達とお金、ふたつ失う。これはちょっとつらいよね
中居正広の「友人にお金を借りてはいけない理由」に共演者全員が納得! _ ニコニコニュース

……10万円はもう、多分返さなくてもいいんだろうな、ってことに俺の中ではなってる。頭の外に追い出して、そうしながら、また金のない自分にひたすら絶望する日々が待っていた。

金を借りる側の心理を学んでしまった……借りた直後に感じた一万円札の重みや、感謝の気持ちは、あっという間にどこかに消えていった。

ツイッターのDMで話す男性が、楽天のギフトカードをくれたこともある。必要な食料品を選んで買えばいいと言ってくれたので、さばの缶詰セットを買って、その時はそれで生き延びた。

もっと遡れば、両親が必死に働いているのに、実家に引きこもっていた時期もある。4畳半の部屋の中でゲームに没頭するばかりの日々で、このままでいいんだと思ってあきらめていた。泥だらけになって働く父や母を利用していた。

ここ最近は、無職で引きこもっている。求人情報誌眺めるだけで、昼夜逆転生活してたら、信じられない早さで夏が過ぎていた。

それでも、消費者金融に借りつつ、最大限引きこもっていようと思った。

もう、社会に出たくない。人間が怖い。笑われる。挙動不審で、いつもビクビクしてるから、まるでハムスターのようだと思われてるかもしれない。緊張すると声が異常に高くなって、人の目を見れなくて、自分が、ありえない存在になっていることに気付いて、消えたくなる。そんな繰り返しで、仕事どうこう以前の話で、もう俺のような、人と上手く関われない中年は、問答無用に生活保護にするか、これならお前でも出来るだろってくらい人と関わらずに済む仕事を政府が斡旋してくれないだろうか。

高齢の母から電話やメールが入ってくる。お金は大丈夫なの?と。大丈夫じゃないけど、それを伝えても、両親は自営業だったので年金受給額は冗談のように少ない(政府は、自営業営んでいた高齢者を救済して欲しい)。だから大丈夫だよと伝えるしかない。親には絶対に頼れないと思った。

たまに遊びに来る元夫は、ただ笑うだけで、面倒なことには関わりたくないようだ。

もう、俺を救ってくれる人などいるわけない。終わりへのカウントダウン始めてた。このまま、極限まで引きこもり続けて、誤魔化しながら生きよう。

そんな中、ツイッターで、おごちゃんが、お金を貸してくれると連絡をくれた。

……こんな自分に、まだ、お金を貸してくれる人がいる。

その夜、おごちゃんに口座を教えて、そして今日お金が振り込まれる。俺が大丈夫になったら返すつもりです。

そのあとで、飢餓に苦しむ子供への寄付活動を見ても、以前ほどは不快に感じなくなってきた。

そうか……自分を具体的に助けようとしてくれる人の存在って、尊いんだなと思った。

貧困層を救うために、大富豪が身分を隠して現地に赴き、手を差し伸べる尊さも、自分が具体的に誰かに救われたときには、素直に受け入れることができる。

そんな誰かの優しさの中で、自分は変われるのだろうか。正直、自信がないけど、今日から努力しよう……