heartbreaking.

中年の末路とその記録

カラオケは一緒に行ってくれる人が不快にならないような選曲と歌い方をするのが大事だと思う。

カラオケ行きますか。私もたまに行きます。昔はカラオケボックスでした(中に入れば仲間だけとの空間、外に出れば夜空といった風だった)。地上にコンテナが並んでいる内の一つに友達と入り込んで、ドリンクなど持ち込んで楽しくやっていたものですが、今ではビルの壁一枚隔てた一室で、生ビール一杯500円程も払いながら、合間に隣の歌う声(音程外れてる人も結構多い) がモロ聴こえてくる中でのカラオケで、なんかこう、友達とだけ過ごす特別な空間て感じがイマイチしていない。オーダー入れると店員が部屋に入ってくるのでその前後は歌いづらくて煙草ふかすしかなくて時間も無駄にする。トイレに行く途中、人々が普段とは違う自分になるために来ているのか廊下をすれ違う。私もそんな一時の夢を追いに来ているのか……。タブレット型検索端末に変わっているのを知ったのは最近で、思えば10年ほどカラオケに行っていませんでした。歌本をめくらなくて済むので友達や恋人が歌う最中にしっかり聴いてあげれるようになったので、交流を深めるには良い環境となりました。

何故、10年ほどカラオケに行かなかったのかというと、自分の思い込みが原因でした。2~3曲歌ったところで声が思うように出なくなったような気がして、その時一緒にいた人がものすごく歌の上手な人で、結局自分はその人の聞き役で終わった日を境にして、もうカラオケなんかはいいだろう、素人が歌ってなんになる、と諦めるようになっていた。でも本当は、歌いたかった。

歌いやすいのは、演歌です。演歌嫌いな方もいると思いますが、日本語を丁寧に歌いながら、自分独自のセンスで拳と強弱を使い分け、見事歌い上げた後に感じる満足度は……日ごろの些細なストレスがその時だけは吹き飛んでしまうほどです。

吉幾三の「雪国」「酒よ」は歌いやすい。おおーいかけてーえ、ゆーきいぐーにい!冬じゃなくても年中歌いたい。勿論、息継ぎなしで、流れるように最後の言葉を美しく閉じなければならない。その後で一緒にいる人が、多少お世辞であっても、上手いねと言ってくれたなら、ブログで承認欲求満たすよりなんぼか現実味のある達成感です。それに、同じ曲を歌えば歌うほど、確実に上達してゆきますからね……

歌いにくいのは八代亜紀です。くぐもった声でボソボソしてるから歌えそうな気がするんだけど。「舟歌」「雨の慕情」に挑戦してみましたが相当難しいです。だから八代亜紀は温泉付きの家に暮らしながら、画家として楽しむ生活ができているのでしょう……

でも、どの演歌歌手も、若い頃は歌が上手なんだけど、年齢を重ねるごとに歌い方がそれなりに抑え気味に落ち着いてゆくので、ようつべで聴くなら昔の動画を探したほうが参考になると思う。

馬鹿みたいに歌いやすいのは細川たかしの「北酒場」で、これなら誰でも上手にやり遂げることができるでしょう。別に好きな曲じゃないのでもう歌わないけど。さらに、歌ってもなんの楽しみもないのは水戸黄門の「ああ人生に涙あり」で全然盛り上がりなくただ時間を無駄にするだけだった(あとから来たのに追い越され、というのは共感出来る歌詞なんだけど、なんにもしないで生きるよりなにかを求めて生きようよ、と歌いながら、馬鹿にしてるのか!と思った)。

いくら好きなアーティストの曲でも、人前で満足に歌えないのなら、それはいくら友達でも恋人でも、苦痛を与えている……なるべく音程外さずに、過度に自己流にアレンジしすぎずに、無難に歌い上げることが、楽しい空間を作り上げて、またこの人とカラオケ来たいって思わせるんじゃないか。勘違いしたら、うげえコイツなんだキメエどっか行ってくれと思う疎ましい存在になる。

なんか勘違いして自分に酔ってる歌い方って、ダサイですよね……真面目に歌おう。

私のように歌唱力がなくて、声が出づらくても(特に高音が出ない)、音楽を聴きとるチカラで音程を外さずに無難に歌い上げることはできる。聴くチカラが=歌うチカラなんじゃないかとすら思った。

でも、流石に一人でカラオケする勇気はまだない。そこまで極めて素人が一体どうするの?って思うし。ようつべで歌自慢の動画流したとしても、曲名で無駄に検索ひっかかって、アーティストを探してる人たちの邪魔な存在になっても駄目でしょ……

あと、カラオケ教室とかも無駄でしょ。別に今からアーティストになるわけじゃないんでしょ。

私は自分が満足して歌えて、なおかつ、一緒に過ごす人を不快にさせない選曲をすることが大事だと思うなあ。たとえば年配者の前で最近のテンポの速い曲歌いまくるのも失礼であるし。逆に、若い人と過ごす時は、演歌は控えめにするかな。

お互いに不快感を与えない良きカラオケ友を持つことだろうなあ。