heartbreaking.

中年の末路とその記録

煙草の本数は減ったので引き続き禁煙(0本)に向けて努力する

嘘は吐けないので正直に報告します……

お察しの通り、煙草をいきなりやめるというのは無理でした。しかし、本数は減っています。

以前は平日なら1日に1箱半以上、休日には2箱以上吸っていた私です。

それが今は、平日に4~5本(……仕事中の軽度のストレスで、休憩時間に喉から手がでるほど欲してしまう)。休日は1人の時間はまったくといっていいほど吸わなくなりました。

そこで、反省しました。

これまで惰性で火をつけていたことの意味のなさを。

そして吸わない時間が長く経過するほど、1本吸う時の重みを感じるようになりました。

吸い始めてすぐに、両腕が重く感じはじめ、これまで正常だった上半身に有害物質が漂い始め、充満して不健康体に近付くのを感じとれる。

1本の重みを受け止めつつ吸う、数分間に色々考えます。

本当に必要なんだろうかと。

何時間も吸わなかった時間を無駄にしてしまったという、暗い感情がある。

その後また次の1本に手が伸びることはなくなりました。

それからしばらくの時間、自分の体と相談しつつ、本当にその1本がいまこの場面で必要なのかと思う時……ほとんどの、衝動的に起こる欲求が、わりと意識的に制御できるレベルのもので、この欲求をいままで抑えられなかったんだな、と。

そういう時は煙草を吸いたいということ以外に、出来ることを考えてみる。

家にいるなら掃除をする。部屋が綺麗になってゆくのを見ると、まさか、アホみたいに煙草を吸いまくって灰をあちこち飛び散らそうとは思わなくなる。

外にいる時がやばい。周りに吸っている人がいると、てめえ全然似合ってねえんだよと思うような奴が吸ってるのを見ると特に自分も負けじと吸おうとする。お前に負けじと俺も吸う!吸ってやる!ではなく、そこで本当にいるのかいらないのかよく考えてから、吸わないのが最高にクールなのに違いない……

はてさて、これで、この1本に火をつけることでなにが解決するのか、これは私になにをもたらしてくれるのか。

根本的になにも変わらない。

外の風景は本当はつらいことだらけ。

自分が体内に有害物質を取り込むことで、汚染された自分なら、穢れているこの世の人々に対して盲目でいられる。その数分間と、プラスしてしばらくその余韻が漂ってる間は。

だけど、世の人々は何も変わらない。私のレンズにはどう見ても愚かにしか見えない者どもが正義なら、心を凍らせよう。煙草がなくても心の目を閉じていればいい。結局愚か者どもはどうしたって、変わらないのなら、無理して煙草を吸わなくてもいいじゃないか。

この地上を穢れたものが充満し、そして純粋なものたちが淘汰されてゆくなら、いっそ自分だって汚してしまえばいい。そうするしか解決する手立てがないと思っていたが、純粋で綺麗な自分をもっと信じて、綺麗なままでいたっていいじゃないか。

吸いたい時が訪れたなら、とりあえず、家にいる間は歯を磨きにいくと、歯が汚れるのが嫌だから吸わなくなる。

さっきも言ったが、部屋をあちこち綺麗に掃除してみたりもする。特にパソコンデスク周辺を拭いていると、煙草を吸わないことのメリットがよく感じ取れるようになった。灰が飛び散っていないデスクの上はとても綺麗で気持ちがいい。

いままでは錯覚していたことの一つとして、煙草を吸うことで、気分の切り替えが出来るので、やめれば切り替えが出来なくなるということだった。しかし、煙草を吸わない時間のほうが明らかに体調がよく、体も軽く感じられる。切り替えをしやすい下地が出来ているのでもう煙草は必要ないのかもな、と思えた。

そして煙草を吸うことで自分はなんだか仕事がしっかりできている錯覚も感じていたが、むしろ吸うことで体は疲れやすくなり、その疲労と労働の疲労が合体していた。いよいよ最大の疲労感で出勤時刻前に何度も寝直すこととなり、会社に遅刻してしまうことも……

特に休日明けの出勤が最悪だった。あきらかに煙草を吸い過ぎによる、鉛のように全身の重たい、抜け出せない疲労感だった。今は本数が大分減ってきて、そうしたものが徐々に抜けつつあるのをなんとなく感じている段階です。私は無事、完全に0本までたどり着くことができるのでしょうか(知らんがな)。