heartbreaking.

中年の末路とその記録

のほほんとした幸せ話より、圧倒的に不幸な人の話のほうが、疲れた人を救えることにそろそろ気付いてほしい

仕事で疲れて帰った時、メシを食い、風呂に入り、その後は……何をしますか。

私は、ソファに寝たままスマホでひたすらネガティヴ検索をしています。「部屋が狭い」とか「貧乳」とか(自分も貧乳だけど)思いつく限り色々打ち込んでいます。

人を救うのは、誰かの幸せ話ではありません。

不幸話です。

特に身体に関する悩みは、努力ではどうにもならないことも多いだけに読み応えがあり、時間があっと言う間に過ぎてゆく。

この間、こんな漫画を見かけました。

太陽にちちゃお5 - ticktockZOO DIARY  since 1945.8.15

内容は、男性器が小さいために、銭湯に浸かりにいくことすら異常に周囲を警戒してしまうという、不幸な話です。まあ事実かどうかは知らないですよ……

こういう漫画は人を救うのではないか。少なくとも、これを見て共感する人はいても、絶望したり苦しんだりする人はいないと思うんだが……

世の中で必要なのは、たとえば昨今ネットに溢れている、子育て主婦の描く四コマ漫画ではないだろう。

多くの主婦はこうだろう。旦那の給料で購入した普通車を乗り回す。

旦那が子育てに協力しないと愚痴を垂れる。

仕事と、家事の疲労感をまるで同等にみなしている。アホかお前らは……家事と仕事が比較になるわけもなかろうが。

結局のところ、ほとんどの愚痴は、手に入れた幸せの中にしか芽生えてこない、贅沢な悩みに過ぎないと気付かなければ、生まれながらに苦労してきた人達の人生に対して失礼だ。

幸せ話では、まず人を救うことはできないと私は思うのだが……

たとえば死にたいと悩んでいる人に必要なのはどちらの記事だと思うか。

A.子供2人目は可愛いですか?

B.惨めな中年だから死にたい

人生に悩んでいる人の心を救えるのは、本当に悩んでいる人の、悲痛な心の、すすり泣く声だ。

毎日ブログ更新し、リア充な話や、リア充な中で生まれる悩みを、出来るだけ大勢に知って欲しい、認めて欲しいと思うのは、無理です。おしゃべりなそのけがらわしい口を一刻も早く閉じろ……

幸せな人は、現実世界の中でとどまっておくほうが、優しい。

幸せ話をネットに流す人が多くなるほど、不幸な人が現実とネット両方の板挟みになって二重に苦しむことになる。

貴方は悪魔になりたいですか。

ネットには、勘違いした馬鹿が多いです。

真に耳を傾けるべきは、リア充な人の結果論や、努力した話、成功するまでの軌跡ではなく、成功していない人の話です。

なにを得ていても、人として価値が低い人はいると思うんだがなあ……

運さえも、さもすべて自分の努力であるかのように勘違いさせる言動をする人物は要注意だと思っている。

高尚な考えを持つ人間ほど、もともと不幸で、手に入らないものが多ければ多いほど、その人は、神へと近付く。

馬鹿は、人の気持ちがわからないから、我儘に欲しいものを次々と手に入れ、勘違いしながら、人を傷付け続ける。

人の心のわからない人間ばかりが、ほかの生命を傷付けることになる子孫を残し、高尚な考えを持つ不幸な人間達が独り身のままこの世界から消えゆくのを、後押しするように「子供たちの未来のために」という便利な言葉を繰り返し、自分達が性欲の赴くまま中出し行為をしていただけの、最悪な存在であることを美化しようとする。

自分達のセックスを目に見えるカタチにしてしまう、とても卑猥なことなのです。子供を作るということは。