heartbreaking.

中年の末路とその記録

一貫性のあるブログ活動を続けることで少数の信用を得たい

ブログで稼いで裕福な生活をしている人もいるようですが、たとえばお金のない人がその成功者のノウハウを真剣に学ぼうとして、そうなれる可能性はどの程度あるんでしょうか……それは疑問に思います。

成功するためには運もあると思いますし、どのタイミングで目立つかということと、その時周囲にどんなサポートが得られるのかという、それによって築く集団の問題もあると思います。いまはまったく目立っていない私でも、少し若い頃はブログでは少し人気がありました。その時周囲には活力あふれるネットの友達が大勢いました。今はだいたい離れてゆきました。

人にはないキャラクターをネット上では作り出すことも大切かと思います。

私はフェイスブックはしておりませんが、今はネットでの立ち振る舞いやオフ会で発揮する社交性などが、反応の多さに直結しているのだと思います。

そしてリアルの充実度がそのままネットでも強い武器となるので、外食の写真や、旅行記事などもコンテンツとして活用してゆくなら、ある程度のリアルでの収入が必要かもしれません。日々の生活に必死であると、なかなか派手な暮らしは出来ませんから、暗い愚痴などを書いているとそれでは人気も出ません。精神病に関する記事もネットに溢れているため、それだけを続けていると読む側も暗くなるし結構難しいと思うので他に気を惹くコンテンツが必要になってくると思います。

衝撃的な言動を繰り返していてもいつか飽きがこられますし、ネットで告白するための次の刺激的な出来事を常に探し求めながら、人生や人との信頼関係あるいは愛を見失ってしまうとしても、結局最後にはネットに残るものなどなにもありません。

ですが自分が本当に伝えたいことを、少数にめがけて、ほぼ真ん中で届けることが出来たなら、その一人の心の中に、自分がたとえ死した後も残り続けることが出来るでしょう。

大切なのは、自分が目立っていることではありません。

誰に、何を届けたいのか、ということです。

たとえば私は、お子さんのいない方々との心の繋がりを大切にしています。

ただ一人の共感を得られたならそれで、貴方や私は、大勢になんとなく人気のあるだけの人を遥かに越えています。

強い一本の線になりたいです……けして切れることのない、そして一貫性を持ちけして揺るぎのない、それが真の魂の繋がりを生み出すのです。

ところで、私がある人気ブロガーを見ていて疑問に感じたのは、他人の著書の良いとこどりで勝手にブログでまとめあげたり、人様が苦労して捻出してゆく情報の価値を横領していることがあるということなんです。

誰しも、誰かの影響を受けたりそれが記憶に残っていてそれを無意識に使っていたりすると思うので、程度の問題だと思うのですが、既存の著書のいいとこどりは、その情報の価値を生み出した人に対する侮辱行為にあたり、引用するならまだしも、さも自分の意見であるかのように、言い回しなどを変えたり脚色したりでブログで発表するのは駄目だと思います。おそらくその人達は駄目だとわかっていてもお金のためにやっていることなんだとは思いますけど、見破れる人はそういうところもしっかり見抜いているので注意が必要です。

ネットで、ブログで収益をあげてそれで生活しているような人を淘汰してゆくことで、本当に私たちが伝えたいことが何であるかという見通しの付きやすいネット世界を構築できるんじゃないかと思います。

実際に人々の役に立つ企業のことではなく、あくまで個人の話なのです。

嘘を伝えて、金目的で記事を書いているような個人の情報が集まりだすと、このネット世界は救いようのない空間になってゆくだろうと思います。

私はお金がありません。ですが、失敗だらけの人生だとしても、金がどんなになくても、人と比較してそれがどうにかなるもんでもないですしね……

また、他人をマウントしたりして、傷付けて、自分だけ価値あるものであるかのように振舞っているのも、度を過ぎるとただ醜いだけですしね。

ネットの個人のリア充話に「凄いですねー」「おめでとうございます」とかいちいち言い続けなければならないヘンな使命感で、自分が偽善者になろうとするのはもうよしましょう。その様子をさらに外側から見る人間からは、いちいちネットに報告しなくても、メールでやりとりでもしてればいいだろって話になるので。ネットの強者をいくらヨイショしてもその人達と対等になることはできませんし、その人達にとってはただ1アクセスとして利用されているだけの自分のままで、ネットで同等の力を持たない限りまず本気で相手にしてくれることはないでしょう。自分の容姿あるいは性格などに自信がありその人と恋愛関係になりたいと近付くのなら一時良いことがあるかもしれませんが、ネットで目立つ人はきっとモテていますからオフ会での浮気の心配は絶えなくなると思います。自分が本当に得たいのはなにかということは、目立つところではなく、検索で長期に反映されている中での信頼出来る個人の真摯に書く真実の文章の中にあると思いますので、困った時はそういう情報を探します。一人の人間が発信出来る情報には限りがあります、無限に沸いてくるものではありませんから、いつか実際に関わってくれる人の心を裏切ってでも情報を切り売りするようになったり、既存の著書や、埋もれている他のブログの情報を勝手に改ざんして公開したりする人もいるのかもしれません。そういう不正を一度でも行ったことのある人を信用してはならないということを我々は学ばなければならないのではないですか。