heartbreaking.

中年の末路とその記録

雨の時

雨の日は、最悪な姿になろうとする気持ちを抑えきれない時がある。

湿気と実際に雨に打たれることで髪も服もみずぼらしくなる。酷く風邪をひいていればいよいよ地の果てまでも行ける。気持ち悪い姿を見て欲しいからわざと濡れているのか。普通のように見せかけているが何も解決していない日々に疲れている。表面や言葉だけで大丈夫ってことにしないでくれと思いつつ毎日働いている。心は何重にも複雑に屈折している。だから雨に打たれて破壊行動を起こす。不器用に頑張り続けても何も残らない、必要なのはもっと狡くなることだ。

無駄に歳をとってしまったのでそろそろ死にたいと思うので安楽死を認めるようにしたらよいと思う。何が正義で悪なのか、過程を見ずに今の結果だけを見るなら、これまでの自分の人生を辿ってみてもわからなくなってきた。痛みも年月共にだんだん麻痺してわからなくなってゆく中、嫌なことを思い出すのもいい加減マンネリ化してきたので、遂には自分が悪いことをされていたのかどうかもわからなくなるような時もある、そんな解決の仕方で生きるのも、納得いかない。最近は大抵のことは聞き流すようにしている、そうすることでしか生きられない。

雨に打たれて全身が重くなるほど、母のことを思い出す。なんでそんなつらい方向にと思うことばかり選んでいる母の姿がだんだん自分と重なってくる。子供の頃は、苦労している母のことをかなり鬱陶しいと感じることもあった。似たくないと思っていたのに、雨の日はいつもずぶ濡れで後を追うように母と同化している。人生は誰かの後を追うように同じ道を辿ってゆくことかもしれない。

最悪な出来事は大抵、雨の日だったりする。

雨が心を圧し潰し、時に破壊していた時の記憶はいくつかある。当然、雨なので野外にいる。何か乗り物に乗って移動中だったりもする。その時見た風景をはっきりとは覚えていなくても、それを見つめていた時の気分ならいまでも容易に触れることができる。その時私は死に近い場所をうろうろと彷徨っていたのだろうか。誰かの輝きをまざまざと見せつけられる中、消えたいと思ったこともあった。

雨に打たれ続ける他にも、自分が惨めな気分になる方法はある。ただみずぼらしい格好をしているだけの時でも、たまたま寝坊をしてなんだか気持ち悪い髪の時でも。

髪や身なりがどうでもよいように投げやりにしている時、思いっきり冷たい目で否定されたなら、なんだか……らくになれる気がしている。

雨でもともとイケてないと思う日、頭から爪先まで醜い見た目になるほど、その中で笑っている。