heartbreaking.

中年の末路とその記録

ネットで活動する人をリアルで直接どうにかしてやりたいと思う発想が既に病んでいる

例の中傷コメントですが、はてなユーザーでログインできる方しかコメントできない仕様に変更したところ、書き込みがなくなりました。

ここはネットなのに、しかも匿名ブロガーなのに、それをリアルに引きずり出して物騒なことをするぞと威嚇したりするのはおかしいと思います。なんのためにネットに居ると思うのですか、ここはネットの利点を活かしてまず文章で議論するのが普通ではないのですか。なんでもリアルで直接解決(時には暴力もいとわない)するのならネットなんかいらないじゃないですか、全部リアルですればいいんですよ。肝心の文章をおろそかにリアルで暴言を吐くようなノリで絡んでくるのはやめてほしい。文章で話し合えないのならリアルに帰りそこで誰かと戦ってください。何故、直接痛めつけたいなどと思うのでしょうか、ちょっと理解に苦しみます。ネットで起こっている問題はあくまでネットで解決してください。その領域をはみ出ないように注意してください。

中傷コメントに対する抑止効果があったと思うことの一つに、暴言を思うまま吐いている内容のスクショを撮り、受け取ったブーメランをそのまま投げ返すが如くいきなり公開したのも影響しているだろうと思います。

コメント欄に中傷をそのまま表示させた場合、それに対する審判を大勢に委ねることが困難となり、その異常さに気付けるのは管理人とごく一部の人だけになってしまいます、その閉鎖性を取り払い、きちんと記事として「こんな非常識な人がいましたよ」と報告することは、ネットで人を傷付けることをなんとも思わない人に対する抑止になるんではないかと思います。

客観的に自分の醜い姿を大勢の前で見られた(スマニュー経由で人が結構来ていました)、いまごろ羞恥心が湧いてきたのだとしたらこれに懲り二度と馬鹿なことは繰り返さないでほしいです。

コメント投稿する前に、文章をもう一度読み返してみてほしいです。

今回のような中傷コメントについてやむを得ずIPアドレスを晒すこともあります。IPアドレスを晒すといってもかつて程脅威ではないかもしれませんが様々な可能性を考えだして今頃、徐々に怖くなっているのかもしれないですね。

言葉や文章は間接的に人を殺す手助けをしている、それも一人が原因ではなく心の中に蓄積してゆきそれがとうとう最後の誰かの一言がとどめになることもあるかもしれません。心が弱っている時に否定的な言葉や、真実と違うことを言われたりすると、会社などでもそうですが、強く生きようとするエネルギーが奪われることもありますね……明るくても暗くてもどんな言葉でもなにも奪わないことはないと思う。無関係な人の心を一瞬で廃墟に変えることだって出来る、何気なく放った一言が致命傷を負わせる。時に夢や希望も失わせる。

たかが文章で、たった一言で、と思うかもしれない。だけど言葉は大切ですよ。

無難に、誰もが傷付かないようなことだけを選んでゆくのは難しくそんなことを出来ている人は煩悩だらけの(俺を含む)一般ブロガーには少ないのではないかと思う。自分ではどうすることもできない境遇を何気なく文章に添えることすらも、必要情報を検索で辿り着いた人にとっては妨害情報を与えたことになり憤慨させている可能性もある。

だけど俺なんかもそうだけど文章打つ際に本題に入る前に大抵余計な前置きなども入るので(これもそうだけど)、結局なにが言いたいのかわからないような個人の日記もある。本題と無関係であるかのようなことが増えるほど、傷付けてしまう可能性は増えてくるのでたった一言を添えたために、それが致命傷で永遠に機会損失なんかもあるかもしれない。ただそこを去るだけでは我慢ならないケースについては、このブログの場合は傷付いた理由を言ってもらえれば必要に応じて謝る場合もあると思う。今回の中傷コメントについては精神的に(一時的にだけど)それなりのダメージはあった……精一杯、「自分はいま充実している」と思おうとしたけど、気持ちを立て直せた後にまた中傷が入っている状態だったので。そのたびに、何度、下がった気持ちを立ち上がらせればよいのだろうと思った。充実してるって……騙されてんだよといういい加減な気分の時もあった、暴言だらけのコメントの中にちょいちょい核心を突いたワードが紛れる度、息をするのも嫌になるほど、沸々と腹立たしくもある。過去に関わった人を含め、様々な可能性を考えたりはした。疑い出したら、自分にとって大事な人のことまで疑い出す。誰なのかという犯人捜しをしだしたら人間不信に陥るので、あくまでネットの通りすがりだと思うことにはしている。今はどうもなくなっていますが、攻撃を受けている最中は嫌なもんです。