とあるブログ管理人の過去話を読んだ。それは、とても辛い過去だった。けれど俺は涙は流さなかった。こんなに悲しい話なのに客観的に読んでいる自分が怖くなる。けれど腹の底は、よどんだ雨雲が停滞したように不気味にザワついていた。でも俺は、その人の過去を 「可愛想」 だとは思わなかった。
「可愛想」
人の同情をさそうようなさま。気の毒なさま。ふびんなさま。
その人は他者の同情をかうために過去話を吐き出したようには感じられなかったからだ。己の痛みを太陽の下に晒すことで、その冷たい氷のような痛みを溶かして浄化しようという、切ない気持ちしか感じなかった。
気の毒だとも思わない、
むしろその話を読んだ俺の腹の中が、気の毒な状態だ
そして、その人の痛みを知らぬ間に荷物として抱え込んでいる俺自身に気が付いたときには、もう遅い。しばらくの間、その人のブログを見る度に、どんな明るい話題が挙がろうとも今回の話を思い出してしまいそうだ。
痛みを感じることは出来ても、何もしてあげられない無力な自分に出来ることといえば、その人を遠くから見守り続けることぐらいだから。それでも、俺の心に 「可愛想」 という言葉は存在しない。
「可愛想……」 これほど他者を、卑下して馬鹿にする言葉があるだろうか。同情心を装って無遠慮に近づいてくる魑魅魍魎ほど、このようなオ綺麗な言葉で、傷付いた者の心の隙間に巧みに入り込み、内側から食い潰すに違いない。だから俺は、他者に対して面と向かって 「可愛想」 などと言ったことは、1度も無い。
そんな綺麗事を平気で言える人間は、人の痛みすらも己の勝手な価値観で美化して終わらせようとする邪悪な存在だ(論点がズレまくってしまった...)。
goo blog funamushi2 - 2005-06-25 18:47:24 コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )15090809