heartbreaking.

中年の末路とその記録

不幸話

人に気遣いできる人は、己も痛みを背負っている人なのです。何を言って良いのか、何を言ってはならないのか、そこまで考えてから言葉を発するから。そうゆう人は、誰にでも好かれるし、余計な事はあえて言う必要はない・・と口を閉ざして生きているのです。

そうゆう人は、好んで自分から不幸話をすることはない。聞かれれば答える程度だ。しかし、その人生は壮絶で。露出狂みたいに俺はウツだ!って己の不幸自慢してるヤツより遥かに重い苦しみを背負っていたりする場合もあるかもしれない。・・・・ああ、この人は何も言いたくないほど苦しんでいるんだな、って解るよ。

口に出せる不幸話と、口に出せない不幸話がある。己の不幸を大げさに振舞う人間ほど、大して苦労していないのだ。それは単なる露出狂であって、己が吐き出す暴言は全て「正義」であると見せかける為に、不幸話を繰り返しているのだ。

自分が誰よりも不幸な人生を負い、その人生に耐えている特別な存在であるとシツコク不幸話を繰り返す中で、他者を洗脳し・・だからこそ私は、どのような発言をしても許されるべき存在なのだ。と、思ってるんだろうね(俺に心当たりがあるから、解るんだよ、、、

苦労しているからといって、その人がナニを言っても許されるというワケでは無いし。苦労しているからといって、その人が偉いワケでも無い。苦労は、自ら買ってでもするべきものでは無い。苦労というものは、望まぬままに受け入れざるを得ないものこそが、本当の苦労であるからだ。

自分が生きる為、成長するために買う苦労は、本当の苦労ではない。それは、苦労ではなく「修行」である。

・・・虐待について、いつまでも繰り返している俺について。他者がどのような目で見ているか・・、冷静な頭で考えてみました。それだけです。所詮、俺の痛みなど・・どんなに、このブログで繰り返し叫んでも、本当の意味で理解してくれる人なんて居ないからな。綺麗事言われて、俺が一方的に傷付いて、心が離れてゆくだけだ・・・

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goo blog funamushi2 - 2005-11-30 14:32:36 コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )