heartbreaking.

中年の末路とその記録

貴方を本気で愛する者ほど、貴方の性的被害の事実を正気で聞く事は難しいのです。

拒否する自由なんてなかった : 明けぬ夜の夢

性的被害を受けても、被害者の心の中で様々な葛藤があります。加害者も人間であり、心があるからです。

ののかさんの葛藤は、状況は違えど、解るような気がします。確かに自分は性的な被害を受けました。しかし、自分の性を本質から目覚めさせてくれたのは、紛れも無く、その加害者なのです。痛くて辛かったけれど、あの日の自分は泣きわめいたけれど、加害者が自分に与えたのは、ただ快楽を求めるだけではなく、ゆがんだ愛情表現でもあったのです。

その当時は、遊んでやる、穢してやる、という欲望だけだったのかもしれません。でも加害者にも心はあります。被害者がトラウマを背負うように、加害者の深層心理にも常にほの暗い影が付きまとっているのです。

第三者や、悟りを開いた坊さんならば、「忘れなさい」と貴方に告げる事でしょう。ですが、忘れる事は出来ないのです。そして忘れる必要はありません。共存しなければならないのです。

ののかさん、これは性的被害を受けた私たちの運命なのです。墓に入るまで、この苦しみを抱えたまま生きて行かねばなりません。私たちには、どんな慰めも救いにはならないのです。この苦しい記憶と、上手に共存しながら、生と死、ぎりぎりのラインで生きて行かねばならないのです。被害を受けた私たちには、加害者を惹きつける不思議な魅力があったのかもしれません。それは前世からの因果応報かもしれないし、先祖の色情因縁に祟られているだけなのかもしれません。

加害者を許す必要はありません。が、加害者にも心があるのです。俺を虐待した加害者は、俺の為に僅かですが目を潤ませました。手でゴシゴシと自分の目をこすっていました。俺はその時の彼の心を信じたいです。ののかさんを犯した男も、今ならば、貴方の長い苦しみを知り、涙を流してくれるかもしれません。そう信じなければ、あの日の自分は何だったのかと悔しいです。だから今の加害者の気持ちを信じるしか無いのです。

加害者が真実を認めない限り、性的被害者は示談交渉で数百万握らされて、終わるだけです。裁判も、相手の経済力が上の場合は、こちらが被害者であっても完全な勝利を収める事は難しいです。むしろ性的被害を告白する事によって、誰かが命を落としたり、自分の生活が窮地に追いやられる可能性の方が大きいです。性的被害については、当事者だけでなく、その周囲の近しい者も確実に傷付けます。体に性的被害の事実を克明に現すだけの傷跡が残っているならば、相手の罪を問いただす事も出来ます。が、その穢された傷口を晒す事さえも、性的被害者にとっては、地獄のような苦しみに他なりません。

俺の親は、俺が生きていて目の前に居る事が苦しいのだと言います。ののかさんのご主人も苦しかったと思う。ののかさんも、ご主人を苦しめている自分を責めた事と思います。

どんなに説明しても、貴方を本気で愛する者ほど、貴方の性的被害の事実を正気で聞く事は難しいのです。目を背ける人こそが愛すべき存在であり、いたずらに根堀り葉堀り貴方の苦しみを聞きだす人は本当の愛すべき人ではありません。俺は今後、貴方が一人になるとしても、貴方の孤独に付け込む悪い男が現れはしまいかと、それも心配です。

リストカットしたり、死にたいのだ苦しいのだと薬を飲む自分を、許してあげて欲しい。俺は貴方を許します、貴方も自分を許してあげてください。何故ならば、私たち性的被害者は、事件のあった日に、確かに一度、殺されたからなのです。愛の無いセックスをする人、そして風俗嬢からすれば、ののかさんの苦しみはそんなに深刻に思えないかもしれません。だけど貴方達と、ののかさんの苦しみは遥かに重みが違うのです。何故か解りますか?それは「心の清らかさ」にあります。純粋であるほどに、傷付きやすく、そして自分が一方的に穢された身であるにも関わらず、加害者を責めずに自分を責めてしまう。それは生まれ持った弱さではなく、加害者をも許せる「優しさ」を持っている証拠なのです。

goo blog funamushi2 - 2006-08-12 05:10:19 コメント ( 1 ) | Trackback ( 1 )