heartbreaking.

中年の末路とその記録

恋愛とか子供作るとかって、障害より一歩外側にある問題だと思うんですよ

お前が「痛み」の代表選手じゃないだろ… って大勢の人に指摘されました。世の中にはあらゆる痛みがあるから、お前がすべての「痛み」を語るなという意味ですよね。で、障がい者を引き合いに出されるパターンもありました。

でも障がい者の痛みと、非モテの痛みは、分けて考えて下さい。

障がい者同士でも「障害の程度」によってお互い反発しあって「お前より私の症状のほうがひどいんだからな!」みたいな内部分裂がありますよね。

歩けない人同士でも、「あの人は杖を付いて歩けるじゃないか、私は車椅子でしか行動できないんだ!」とか反発する心があるようです。障がい者の心は屈折しまくってますからね、あと等級の高低差から嫉妬心が生まれたりもする。

そんな現実に障害を負う人たちから見れば、「恋愛できないとか子供できないくらいでガタガタ抜かすな!」と思えるだろうけど、でも恋愛とか子供作るとかって、障害より一歩外側にある問題だと思うんですよ。

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何で障害よりも外側に恋愛の問題がくるかというと、障がい者が恋愛に逃避して救われることはあっても、逆はないですよね。だから恋愛や子供作る問題は、障害よりも外側の問題なんです。ですから障がい者の痛みと「子供の出来ない痛み」は分けて考えてください。

そしてあらゆる問題の外側にある恋愛や結婚などの問題は、すべての内在的な苦しみを解放できる力を持つ「唯一共通の拠りどころ」なんですよ。

さらに恋愛や結婚より外側にある問題が、子供を産む問題です。

一番外側にある問題、それが子供を産むという事なんです。すべての希望が子供に詰まっています。そして子供の誕生は人生の一つの終着点でもあります。

ですからすべての希望の先端に、すべての答えがあるのだと、私はそう感じるのです。

そして、ある年齢に達したところで、その希望には手が届かない事に気付く男女が現れてきます。彼らの見つめる方角は、同じ「外側の世界」であり、つまり恋愛や結婚、子供を作ることなのです。

この同じ方角を見つめる心が、非モテという共同体を作り、そして先日の私の記事に賛同いただいた方々を呼び寄せる原因だろうと思いました。

追記:

だから私は「子連れの男女に苦痛を与えらていれるすべての独身者の気持ち」の代表選手として自信を持って発言したんです。それが「代弁すべくここに存在する」の答えです。

続きを打ちました。

子供は死後も進めることのできるチェスの駒だ

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