heartbreaking.

中年の末路とその記録

ネットの力で現実世界の誰かを消すことも容易な時代

Linkin Parkの新しいアルバムのPV無いかにゃーっと、YouTubeで検索してたら偶然「トランスフォーマー2」の映画が今月公開だと知った。何だこりゃ超絶かっこええ。うぉー!超観てえ・・・

話は変わるけど、

例えば、現実世界で関係のある誰かに自分の趣味のブログがコッソリ見られていたとする。「こいつはこういうブログを持っていて、こんな発言をしている」と知りながら、「知らないふりをして」、「観察」されていたとしたら、かなり嫌な気分だ。

そりゃ俺がブログでリアルの知り合いの悪口書いたりして俺に非があるなら、悪口を言ったこと自体については謝る・・・ 

でも友達でも、会社の付き合いでも、そんなに他人のいいところばかり見てるわけじゃない。たまたま「あー、こいつのこういうところ嫌いだ」と思うことをブログに綴ってしまい、それを当人に読まれてしまった場合は、読んだ相手は「こいつがこんなことを考えながら俺と付き合っていたなんて・・・ 許せない!」と思うだろうな、俺だってそうだ。

現実世界で、頭の中で思うだけなら自分の中だけの問題で済むけど、ブログで文章にして「残してしまった」ら最悪だ・・・ 読んだ当人は「お前はいつもこんなことばかり考えているのか!」と思うだろうな。でもそうじゃないんだな・・・ 悪口を書いていても、その人のいいところもきちんとわかっている。

ただ「目に見えるものだけ」がすべてのように思われてしまうんだ、それがブログに綴った文章の恐ろしさ。

見せるか見せないか、の違いだけであって、自分がどんなにいい人でいようとしても、そう思われようとどんなに努力しても、もしかしたら貴方の存在自体が、境遇自体が、または、あなたの何気ない言動の中にある何かが、相手に「何だこいつ、こいつのこういうところムカつく」と思われてるかもしれない。

自分はなにも悪くないと思うかもしれない。でも悪口を言われるということは、「何も無い」ということはない。

でも一番悪いのは、やはりブログで他人の悪口を綴ることなのだろうな。ブログ・・・ いやネットをネガティヴな方向に使いすぎているかもしれない。ネットで得た力を持って、現実世界の誰かを潰すことがあまりにも容易すぎて、それはとても不気味で、とてつもなく怖い。それも現実世界では、何が起こっているのかわからないままに、誰がそれをしているのかもわからないままに、ある日自分が消されてしまうかもしれない・・・ そんな恐怖が身近なものになりつつある。

俺も去年は調子に乗りすぎて、そんな俺を観察する何者かによって(未だにこれが誰かがわからない)葬り去られるところでしたよ・・・ 結局、誰だったんだろうな・・・ まあ何かネットに関することでヤバイと思ったら自分ひとりで解決しようとせずに即、警察に言うのが一番ですな。ブログが知られる恥ずかしいとかいってる場合じゃない。命に関わる問題だからな。