heartbreaking.

中年の末路とその記録

一人さびしく生きていくよりも

実家に帰ると母が「あんたの大好きなから揚げがスグできる」と言うので、いつから私の好物は「から揚げ」になったんだろう・・・ と思いながら、居間に入り待っていると、「あと三分でできる」と声がした。

しばらく待って、もう三分はとっくに経っただろうという頃に、再び「あと三分でできる」と声がした。いつ三分後がやってくるのだろうと思いつつも、この暑い中、台所で油料理をしてくれる母に文句は言えないので黙って待ち続けた。

かなり時間が経ってから台所をのぞくと、なんだかずいぶん小さくなった母が汗をかきながら、出来たから揚げを手渡してくれた。・・・あれ?いつの間に、こんなに小さくなったんだろう。

「背ちぢんだ?」と聞くと、「○○(私の名前)が背が伸びたんだよ」と返された。いや、私はもう30過ぎてるので流石に背は伸びないだろう・・・ 母が小さくなったことは明らかだった。

両親の「老い」の速さに気付くたび、遅ればせながら結婚できてよかったと感じる。独身の頃、母が私にこう言った。「お父さんが、夜中に寝る前に毎日言うんよ。○○(私の名前)はいつまで一人でいるんだろう、自分たちが死んだあとも一人でさびしく生きていくんだろうか・・・」って。

私はそれでも、独身のままでいいと思って生きていた。それに独身で居れば、苦労をかけてきた両親が病に倒れたときも自分が納得いくまで面倒をみれる。それが親孝行なんだろうと勝手に思っていた。

でも親ってやつは、子に何かしてもらいたいとか、そんなことを願っているわけではないと思う。それは子が勝手に「それが親孝行なんだ」と自分にいいきかせたいだけで、自己満足に過ぎない。結婚相手の男性を連れて、両親に紹介したときの、いままで見たこともないほど幸せそうな両親の顔を思い出すたびに、こう思う・・・

親が死ぬ間際にまでも「○○(私の名前)はあのままずっと一人でさびしく生きていくのだろうか」と心配をかけたまま死なせてしまうほど、親不孝なことはない。一人ではなく、二人でいるのを見るだけで、親は安心するのだろう。単純ではあるけれど、人間なんてそんなものではありませんか。