テレビのCMでやたらと「子供たちの未来のために」みたいなのが多くないですか・・・
子供や赤ちゃんの姿を映したCMが多い気がするのは、私がそればかり注視しているせいか・・・
画面に映し出される子供や赤ちゃんの姿が、いつどんなときでも私を無気力にさせる。口を開けば、どうしようもない悪態をついてしまうので、怒りを呑み込もうと黙るものの・・・ まるでノドの奥に鉛を押し込まれたように、モヤモヤして、そして次第にイライラしてくる。
なんで子供のいない私にこんなものを見せるんだ。それはそうとロンブーの亮を見るとスゲー腹の奥からイラッとする・・・ こいつ、子供ができたことをテレビのあちこちで話してるが、なんて無神経な男なんだろう。もともとロンブーは嫌いだったので存在自体どうでもいいのだが、お試しかっ!に出てくるのがマジウザい。
私からすりゃ日本の未来とかどうでもよくて、今、自分が不快になるか・ならないか、のほうがはるかに重要だ。私にしか理解できない部類の不快が、外部から与えられる状態が増大すると、私はこの不快を到底理解することもできないであろう世の中に対する物言えぬストレスに押しつぶされて生ける屍になってしまう。動いているが心は無・・・ みたいな。夫がいるから完全な無にはならないけど、これで結婚もしてないまま突き進んでたらどうなってたかわかんねえ。そんな世の中になってきてますヨ。あなたは無の存在に、ある意味、生かされているんですよ。つまり無の存在たちに、殺されないだけ有難いということです。
私は夫に対しては、子供はいてもいなくても運に任せる考えを示しているが、それは、子供が無いまま年老いてもいいかどうか?を確認する意味を込めて示したに過ぎない。本当は、この人を父親にさせてあげたいと思う気持ちがある。
子供や赤ちゃんの姿がテレビに流れる間は、たとえ夫は傷つかなくても、私は深く傷ついている。・・・まだ子供いないから、ちょっと待ってくれないか、私はその問題を解いてる途中で、答えがあるかどうかもわからない状態に頭を悩ませているんだ。じっくりと時間をかけて子供や赤ちゃんの大事さ愛おしさを映しだすCMが増えてきた。私の気分次第では殺意すら覚える。子供のいない私にその気持ちを強要してくるな・・・
ほんと、心臓から血が噴き出しそうなときがありますよ・・・
私はもう30を過ぎた。なのに子供はいない。いくら晩婚で高齢出産が増えたとしても、そんなものは何の慰めにもならない。今、目の前にいる子連れの若い夫婦の姿を見るだけで一瞬ですべてが潰れる。
赤ちゃんを連れた若い夫婦の姿をみると、頭の中はなにも考えられなくなる。今、一緒にいる夫のことだけ考えて楽しい気分のままでいたいのに、どうしても、赤ちゃんを連れた若い夫婦の光景が気になって見てしまうのだ。
何かを手に入れると、それを手に入れられない誰かを傷つけている。他人だからどうでもいいのではなく、あなたが他人を傷つけているのなら、その傷つけられている他人もあなたに傷つけられる必要はない。存在そのものが誰かを傷つけているなんて想像もつかないようでは、いつ誰に刺されても仕方ない。
子供がいるだけで、恋人がいるだけで、または家があるだけで、もしかしたらそれを得られない誰かを再起不能なまでに追い詰めているかもしれない。そんな大げさな、プッと笑うかもですが、あります。
さて私は、「子供が嫌い」という自分の意思を貫く中で、実はそんなに子供が嫌いなわけではない自分の心もしばしば見つけてきた。
あの違いは何だろうなあ・・・ 過去に何人かの子供たちに対して、私は確かに心から笑顔であった。その子供たちとは、一対一で、なんらかの形で接してきた。たとえ会話がなくとも、一対一だった。
親が一緒の子供はあんましかわいいと思えないのだが、たまに親から離れて行動している子供がいると話しかけてみようかと思うこともある(ビービーうるさいだけのガキは論外だが)。
個体で存在しているかどうか。それが、その子供をかわいいと思えるかどうかの基準になっていることに気づく。たとえばスーパーのガチャガチャに入れるお金がなくてジッとしている子供がいたら、100円や200円くらいなら入れてやろうかと思う。
子供が好き!子供がかわいい!子供大事!子供たちの未来のために私たちができること!・・・とかいちいち口に出してその感情を強要してこなくても、かわいい子供は、かわいいと思ってるからそれでいいだろう。