heartbreaking.

中年の末路とその記録

数年ぶりのコメント欄開放その後…

コメント欄を開放して数日…

普段は「見るだけで、けして声を発することなき」読者からの声が聞けるようになり、私にもちゃんとフツーの読者いたんだなあと感慨深い。

ほとんどの読者(?)は無言で訪れて無言で去るので、いつ自分が好かれて、いつ自分が嫌われていたか、気付かぬうちに、様々な感情がブログの戸口の前に置かれて蓄積していくことに気付かないでいる。

いつでも無言で去ることができるのに、ネットを閲覧するあなたの選択肢は無限大なのに、この小さなブログを、生活の片隅でいつも気にかけてくれた、その理由は何なのか?どこかで魂が交差する地点があったのかもしれない。時に私はあなたの心の奥底の代弁者であり、時にあなたを切り刻むナイフであり、そしてたまにはあなたを笑わせ恋人のように肩を組んでそこにいる… その繰り返しの中で、あなたの心の中に少しずつ… 入ってゆきたい…

自分の生きた証を残すのは子供だけとは限らない。たとえばブログの文章でもよい… できるだけ多くの人の心の中に自分の存在を感じさせて、けして忘れないように刻み付けて、死ぬんだ…

私が目指すものは、魂のこもる文章によってブログ全体が人(ひと)のように見える、そんな… ネットの中で小さくてもいい情熱的に燃え続けるひとつの炎です。

「検索から偶然たどり着いてそれ以降ファンです」とか「お気に入りに入れて通ってます」とか… 最高すぎる私が望んでいたのはまさにソレです。

さらに「過去ログも全部読みました」も嬉しいです。過去の文章もなるべく流しておいたほうがよいですね。もう今の自分には逆立ちしても打てない、昔の自分だからこその魅力もあったと思うので… 今と昔の違いを楽しむという意味でも、あったほうが良い。

さあて… 盛り上がってきたぜ、今はまだ何も出てこなくてウンコすら出なくて屁が出るだけだが、ちょっと自信がついたので、この土日は画面の前にずっと座って何かが出てくるまでねばってみるか(結局ウンコが出るだけかもしれないが)
うお、ウンコの付近で文章をかんでしまったorz まるでお笑い芸人が肝心な部分でかんでしまったような気分で悲しい気分のまま今日も夜勤です…