heartbreaking.

中年の末路とその記録

一人になって気付く、自分の生き方は変わらないことに

一人の生活は、食べたいときに食べて・寝たいときに寝る・風呂も自由に沸かして心ゆくまで浸かり(読書をしたりもする…)・コンビニにフラりと出かけついでに散歩をして帰る。とにかく自由だ…… 自由なんだけれど…… でも、それだけで、他には何もない。

ただ自分が生きるために、生きているだけで、誰かのためにっていう部分が欠けている。

俺にはナンにもねえなあ………

そんなことを感じるのは、休日買い物に出かけた時… 俺の住む田舎では、休日はほぼ一人者は見かけず、子供のいる家族連ればかりになっているのでどこにいても常に孤独を感じている。…いや、孤独を感じさせられている、という感覚。

子供の甲高い声にイラつき、それを注意する母親たちに対しては殺意しか感じない…… 嗚呼、オフの時間は俺は何も変わっちゃいない…… 人間はそんなに簡単には変わることはないのだ… もう40歳近くまで生きてくると、変えることはほぼ不可能だと思える。

俺は結婚していようが・していまいが、誰かと同居していようが・していまいが、どんな環境の中にあっても「キ○ガイ」だという事実に変わりはないのだな… と自分でだんだん気付いてきた。ホームセンターでノコギリや鍬などを見ていると、まず頭の中に浮かぶイメージは、ひぐらしのなく頃に、で、それが俺がとうとう狂って人を殺しているイメージへと違和感なくスライドする。

ニュースじゃ猫を解剖した少女の事件ばかりでチャンネル変えるのも面倒になるほどだったが、若い子の殺人事件は、やっていることは重くても、何故だかとても軽く感じてしまう…… まだ人生そんなに生きてもいないのに、絶望感の蓄積が全然足りない、人を殺すほどの理由を持ちたいのならば、もっと生きて・生きて・絶望感を極限まで蓄積させてからの解放にしやがれ…… 漫画やアニメからそのまま抜け出てきたキャラクターみたいな少女や少年が起こす事件が世間をにぎわしていても、俺は「は?」って感じで興味も持たずに即チャンネル変えるから……

少女の心理を分析しようとする精神科医たち…… ヴァカか、他人の心ん中が分析できるわけねえーだろ、同じ環境にオギャアと生まれて寸分違わぬ生き方をしない限りは何一つわかりはしないさ…

今日は雨だったが、ほんのわずかだけ雨がやんだ時間があり、その時間にまずホームセンターへ行こうと思い原付を発進させる。原付のあちこちに小さな蜘蛛たちが糸を張ったままでブラ下がっていた。安い賃貸なので乱雑に置かれた自転車たちに側面を勝手に傷つけられていたりもしたが、原付もローンが終わると扱いがだんだん雑になってくるので、どうでもよかった。(俺は本当は車が欲しいんだが、金がないので我慢して原付に乗ってる)

雨の日の原付は最悪で、体にはりついてくる鬱陶しい雨具(かっぱ)を不快に感じていると、信号待ちで目の前には「BABY IN CAR」のステッカーが……

俺がネットで「BABY IN CARだとフザケンナ!」と叫び続けたところで世の中はちっとも変わらない… いや、変わるはずなどない… 何も、何ひとつ変わりはしない…

ネットで吼えたところで現実世界には小石一つぶつけるほどの影響すら与えることは出来ない。ロボットアニメのヒーローやヒロインのような特別なチカラを得ない限りは何も…… 何も変わらない世界、変えられない世界の中で生きている・いや、生かされている自分が、他とは違う特殊な存在であるようにも感じる… 人とは違うと、自分で認めてやらなければ、どうにも生き辛くなってきている…

もはや同じにはなれないだろう…… 自分が本当は望んでいる未来に対して拒絶反応が出始めている。そう、例えば、子供をもつ未来とか… 俺には、無理、だろうな… 

酷く、まわり道をしすぎてしまった……

夫婦の共同生活はストレスだったし、結局離れて暮らしている今となっては、一体何だったのだろうな、という感覚だ。