heartbreaking.

中年の末路とその記録

大きな声や暴力は根本的にはなにも解決はしない。時に愛する人の真実すらも封じ込めてしまう

人は、愛する者が誰かに痛めつけられると、当然だが激昂し、一気に冷静な思考力を失ってしまう。

愛する者を思うが故に発生する怒りは時として危険だ。

考えたくもない最悪な想像にむかって一直線に延びた怒りの線をたどるだけの行動へと突き進んでしまう可能性がある。

映画や漫画ならば、善悪がはっきりしているからまだいい。しかし現実はそんなに単純なものではなく、善と信じた中に悪が/悪と睨んだ中に善が潜んでいるので用心が必要だ。

自分を愛してくれるが故におきる

最愛の人の怒りの暴走

あなたは止められるだろうか…

あなたを守ってくれるであろう人が激情型人間であり、興奮しやすく、大勢の前で声を荒げることや、間違っていると「思う」ことに対しては暴力をふるうこともいとわないタイプの人間である場合は注意が必要かもしれない。

怒りの行動は周囲に嵐を巻き起こす、そんな喧騒の中でも尚、真実の声に耳を傾けようとする人間が果たしてどれほどいるだろうか…
あなたを愛する人が、あなたですらも止められない暴走機関車のように変わってしまえば、あなたの真実の告白になど、もはや誰も耳を貸さなくなってしまう… 私はそのことを何より懸念しているのだ(経験上)。

愛する人を本気で守りたいならば、まず話を静かに聞かなければならない。そのためには声を荒げない・暴力もふるわない。冷静な思考力・そしてたとえ愛する人のほうに非があったとしても善悪を正しく見極める目を濁らさない。
当事者たちの意見を否定も肯定もせずすべて一旦聞き入れることでようやく、真実に「近い」ものを知ることができるだろう。

片方の意見のみ聞き入れたままで暴走されると、それがたとえばヤクザだった場合は誰も逆らえずにヤクザの信じた正義が100%真実だっていうことになってしまう。金のあるやつが正しいとか、力のあるやつが正しいとか、そんなのは間違っている。ヤクザの恋人を罵ったりすればほぼ100%地獄を見ると考えたほうがいい、私のように……

大きな声や暴力は根本的にはなにも解決はしない。ただ、憎しみの連鎖を生み出すだけだ。

怒りの対象を殴る・蹴る、または暴言を浴びせたり脅迫したり、金をもぎとる。こんなことをしておいて、その後の人生を自分が安穏と生きてゆけるだろうか。否、あなたは常に命を狙われていると考えて用心したほうがいい…

人は人を裁けない。そこを捻じ曲げて、無理やり裁こうとすれば、どこかに無理が生じる。完全に正しい人間なんてどこにも存在しない。