heartbreaking.

中年の末路とその記録

確かに言葉は大事だ。心のこもった謝罪の言葉を繰り返す意味を軽視していたようだ…

俺の祖母は数ヶ月前に亡くなっているのだけど、葬式には行かなかった。
墓参りにも行っていない。誰かが「墓参りに行った」と言うたびに、自分は非常識だろうか?と迷うんだが、墓参りを拒否したくなったのには理由がある。

自分の真実を真っ向から否定した人間が納まっている墓に、手をあわせる気にはなれない、ただそれだけなんだ。
生前の祖母に、俺の被害を受けた話は真実であるのに「いや違う」「お前の言ってることは嘘だ」と否定された瞬間から、俺の中で祖母は終わった。

祖母は俺の被害を実際に見たわけでもないのに、否定するのだ、と驚いたし絶望もした。最初の言葉はあまりのショックにすぐには出てこなかったほどだ。
本当であっても信じてもらえない苦しみを与えられた。…そしてその後に訪れるのは怒りだった。

その被害を直接見ていない者は、それをけして否定してはならないのだと、俺はそのときからわかっていたはず…

韓国や中国、そして今は親日だと言われている台湾でさえも従軍看護婦として日本と中国の狭間に苦しんだ人が今も存在している。
周辺諸国の、被害を受けたと言っている一部の人たちについては……

どうして日本人でもないのにお前らそんなにきちんとした日本語をしゃべれるんだよ…?

…と不気味に思えるほど日本語をきちんとしゃべれている人もいることからも、すでに日本の統治時代の一端は窺い知れる。(俺は今、英語を学ぼうとしているが非常に困難さを感じている、だから異国語をしゃべれる状態がもし本人らの意思ではなく強制だとしたら、それは恐るべき所業であるように感じる…)
それらすべてを実際に知りもしないのに否定していた。俺の真実を嘘だと言った祖母と、韓国や中国が実際にそういうことが戦争時代にはあったと言っているのにそれを否定した俺と何が違うのだ… 俺はこの辺の考えを改めなければならない。(但し、左には傾かないように気をつけつつ…)

実家へ帰ったとき父から「お前に黙っていたが、ばあちゃんが死んだ」と聞かされた。それだけだったが、「ああそう」と俺もそれ以上聞こうとは思わなかった。

自分を傷つけた身内の人間が一人ずつ死んでゆくたびに、静かに俺の荷物は一つずつ降ろされてゆく。

俺個人としてはやはり加害者の連中がいなくなることが一番の救いである。なぜかというと、たとえ自分が被害者であっても、その後の報復まで内心恐れているからだ。しかもそれらの子孫にいたるまでが恐怖であることも事実。つまり傷つけられた側は弱者であり、傷つけた側は強者であるという構図が生まれた瞬間からずっとその構図は変わらないのである… 被害者にとっては、加害者が元気にいつまでも強者のままで存在する限り、安息が得られないことになる。やはり… ひたすら謝ることしかないのだろうな…… そして俺も……何度でもいいから謝ってほしい。謝り続けて欲しい…… と今でも加害者に対しては思っているし、願っている。勿論「心から」である。おそらく韓国や中国の実際に被害を受けた個人はそれを待っている。

確かに言葉は大事だ。心のこもった謝罪の言葉を繰り返す意味は、そのまま個人にあてはめて考えてみればシンプルにわかる。
嗚呼そうか、俺はここ最近どうもおかしかったが、ようやく普通になったということか。ニュースを見ている時間、テレビに向かって妙な突込みを入れることもなく、心が平穏を取り戻しつつある。今後は左でも右でもなく、真ん中で。