heartbreaking.

中年の末路とその記録

子供のいない人生、それが、自分をこんなに苦しめるとは思わなかった。

テレビを見てると、立派な一軒家で女児3人を育てる、若い主婦が出てきて、それが、とても輝いて見えた。つらかった。自分は何故、幸せになれないのだろう。当たり前の幸せな家庭に憧れる。

子供を産めないで、このまま老いてゆくなら、死んだほうがよいと思った。嘘じゃない、本当にそう思った。涙もでないほどの悲しみの中でそう思った。子供もいないのに、ただ、自分が生きるためだけに、生きるのは、ただの自己満足でしかない。死んでいるのも同じような人生だ。

幸せを手に入れると、必ず誰かを傷付けている。幸せは、他人を傷付ける凶器で、相手に直接触れることなく、内部から破壊できるし、殺すこともできる。笑いながら。その罪を問われることもない。気付いているのに、気付かないふりで、自分がいる高みに未だたどり着けないでいる人間の心を踏みつぶしては、心の悲鳴を見ないふり。

自殺できる人がうらやましい。後に残される人間が、どんなおもいになるのかまで考えずに、自分がラクになるために死ねる、自分のことしか考えてないところが。責任を放棄して、自分のために命を投げ出してもいいと思える、その無責任さが。

死ねたら、どんなにラクになれるだろう。だけど、自分が死ぬことで涙を流す人が、現実世界に1人でもいる限り、死ぬことはできない。死ぬことは許されない。人を殺すことも許されない。死ねない自分、殺せない自分、こんなに苦しいのに、生きてゆかなければならない。それが今日はとてもつらかったのでブログに書いておいた。

子供のいない人生、それが、自分をこんなに苦しめるとは思わなかった。40代間際で、いまだ子供のいない私が、伝えられることは、私よりも若い女性で、女性特有の病気がないのであれば、子供を1人は産んでおいたほうがよいとおもいます。寂しいという生半可な言葉なんかじゃ表現しきれない苦しみで、その場にいながら消滅してしまいそうになることも多いです。子供のいる女性の、その表情が、言葉が、すべてが私の心を殺すのです。

不細工でも貧乳でもいい、子供さえいれば。だけど私は不細工で、胸の起伏がほとんどありません……女としての魅力がないのです。なのに、40間際で子供がいないのです。鏡を見ても、この顔にも、胸も、お尻も、脚も、何の魅力もないのです。そして誰も声かけてくれません。

ただ若いということが、それこそが女性にとっての最大の魅力なので、若いうちに子供を産んでおいたほうがよいと思います。

嗚呼、子供がいないって、こんなに悲しいのか、自分が無駄に歳だけとってしまい、未だ、大人になれていない気がするほどに劣等感で、死にたくなる。時々、空白が訪れる、自分が何処へ行こうとしているのか。

ネットでの交流、美味しいものを食べる楽しみ、動物飼うとか、そんなんで、子供のいない人生を誤魔化せるとは思えない、すべてがまやかし。まやかしだらけの中で、偽物の笑顔で、子供のいる人たちだらけの世界の中で生きてゆかなければならない、この先も、ずっと。誰も、子供が欲しいのにできなかった私の苦しみなど聞いてはくれない、ただ自分たちの子供の成長を語るばかりで、誰も私の孤独に気付きもしない。